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驚くべきピルの歴史1

親世代ってなんとなくピルとか性に否定的ではないですか?

その理由が、今回わかりました。

明治大学心理社会学研究の平山氏が出している「日本ではなぜ近代的避妊法が普及しないのか」という論文を読みまして。

まずタイトルから惹かれたのですが、読んでみてめちゃくちゃ良かったんですよね。

日本の歴史には、女性の権利や今の価値観につながっている事実がかなり根深くあることがわかりました。

そんな時代の流れを知るとピルや性への理解が一層深まると思いましたので、まとめていきます。


✔参考文献

「日本ではなぜ近代的避妊法が普及しないのか」
明治大学心理社会学研究 平山満紀


序章:戦後、「人工妊娠中絶」が法律でみとめられた話

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第二次世界大戦が終わったのが1945年。
みなさんもよく知る、広島と長崎に落とされた原子爆弾投下後の8月15日です。

日本は敗戦し、非常に貧しい国となりました。

その中で、1947~49年に第一次ベビーブームが起こります。


ベビーブームが人々の不安を強くした

ベビーブームとは、赤ちゃんがたくさん生まれること。この時期に生まれた人たちは、今でいう「団塊の世代」です。

赤ちゃんが生まれることは本当はとても尊ばれるべきことなのですが、この時代はそんなことを言っている余裕なんてなかったんですよね。

深刻な食糧不足、資金不足。
なるべく人は少ないほうがいい、という殺伐とした時代です。だから、人口増加に対する不安がどんどん強まっていきました。

そこで、権力をもつ医師たちが立ち上がったのです。


1948年「優生保護法」の成立

医師たちは自分たちのビジネスのために国会議員を説得し、「優生保護法」を成立させました。
※優生保護法=人工妊娠中絶を合法化させた法律

1949年と1952年に修正されましたが、指定医のもとでの中絶が合法化されたのは世界で初めてだったそうです。

それ以来、1950年~1960年代は中絶件数がとても増えました。生まれてくる赤ちゃんよりも、堕ろされる赤ちゃんのほうが多かった時期もありました。

なんとも、ずさんな現実ですね・・・。

こうした現実をみて、1954年ころから避妊法を普及する運動が助産師をはじめとして全国に広がっていきました。


1章:1950年末、国内初「中・高用量ピル」が治療薬としてみとめられた話

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今でこそメジャーなピルですが、当時は「治療目的」としてのみピルが認められていました。

しかも「中・高用量ピル」だけです。低用量ピルはまだなかったんですね。

その後、ピルが経口避妊薬として承認されるには約40年の歳月がかかったのでした。

その40年間、厚生省がピルを認可しようとする動きは少しあったりしたのですが、いずれも失敗に終わっています。


1964年、厚生省はピルの認可を諦めた

それまで日本国内では、ピル賛成派と反対派に分かれて議論がなされていました。
でも、政府は反対派に押されてピルの認証を諦めてしまった。

その理由は以下です↓

①サリドマイドなどの薬害を恐れたため
②ピルが店頭で非合法に販売され、当時流行していた「睡眠薬遊び」のような薬物濫用を起こすのを懸念したため
③性行動、特に若い女性の性行動が乱れることを恐れたため
④中絶指定団体ほか医師会、助産婦会、家族計画団体などが承認に反対したため

当時、ピルの認可が推し進められている背景で、社会的事件が多数起こっていました。
その一つが、「サリドマイド事件」です。


サリドマイド事件とは

睡眠・鎮痛剤サリドマイドを妊娠初期の女性が服用することで、赤ちゃんに障害を生じた世界的な薬害事件のこと

私はうっすら聞いたこと合ったのですが、これがピルの否認に結びついていたことは今回始めて知ってびっくりしました。

女性が服用して害が出てしまった事例を、ピルにも結びつけて考えた結果「ピルも危険だ」という結論に至ったのでしょう。

他の理由として薬物濫用とか、性行動の乱れとかありますが、これについては皆さんどう思いますか?

正直、今も論点はそうずれてないきがしますよね。

「睡眠遊び」とかはないけど、ピルをうまいこと使ってイケナイことするんじゃないか、みたいな曖昧な懸念は結構理由にされることが多い気がします。


2章:1973~74年に「ピル論争」「中絶論争」が盛んになった

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その後、1973年~74年くらいに「中絶論争」「ピル論争」が盛んになりました。
これは全国的にウーマンリブ運動のグループを多数生み出します。


リブ運動に参加した女性はピルに反対していた

ウーマンリブ運動とは:1960年代後半から1970年代前半にかけて、欧米や日本などで起こった女性解放運動のことです。

しかしリブ運動の多くの人たちが、賛成の表明をしませんでした。
なんで?と思いますよね。

その理由は、次の3つです。

①医師や製薬業界がピルにより、女性の身体を使って利益をあげようとしていると捉えた
②ピルには副作用があって女性の健康に有害である(1970年には米国上院でピルの安全性について公聴会が開かれていた)と思った
③ピルは避妊の責任を女性のみのものとして男女でそれを共有できなくすると考えていた

要点は「自分たち女性が、金儲けや都合のいい存在として利用されていると感じていた」ことです。

本当はピルって女性の身体を守るものなのに、当時の風潮がそうさせていたのでしょう。

加えて、こんな謳い文句までありました。

「男に、コンドームはめてと要求できない主体の延長線上で、ピルに飛びついたところで、とどのつまりは赤線変わりのSEXフレンド。性解よ、自前の売春婦になるな!」
ー『リブニュース』73年5号ピル特集

今も結構この意識って根強くあると思ってます。

なんて寂しく狭い視点でしかピルを考えられていないのだ、と悲しくなりましたけどこれが現実ですよね。


ピルに関するヤバい発表

その後、当時の首相・田中角栄がピル解禁の質問を受けた際このように答えました。

「ピルは安全性に懸念があるため避妊用としては承認しないが、承認されていない目的での使用は法律で禁じていない」

要は、ピルは治療薬としてしか認めていないけど、それ以外に避妊目的で使ったとしてもそれは違法ではないよ、ということです。

紛らわしいな~と思っちゃいました。けど、サリドマイド事件とかあって健康被害にはとても慎重になっていたのでしょう。

こうしてピルは非公式に合法化されたのです。


しかし、高用量ピルしかなかった

当時治療で使われていたのは「高用量ピル」でした。

なので、避妊目的でピルを使っている人も高用量ピルの転用を強いられることになったのです。

高用量ピルは非常に副作用が大きいピルです。だから、使っている人も相当辛かったはず。

こうした経緯から「ピルは副作用が大きい」という認識が広く伝わるようになったと言われています。

いったん休憩しましょう

ここまで話をまとめてきましたが、日本のヤバさがなんとなく伝わったでしょうか。
この背景の中生きてきた親世代だからこそ、ちょっと頭が固いのかもしれないなって思いました。

第3章と第4章は続きの記事でまとめていきますので、完成までしばらくお待ちくださいませ・・・(`・ω・´)ゞ


続き:驚くべきピルの歴史2

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