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 どこの企業、会社、組織でもそうかもしれませんが、個人と組織のバランスは非常に難しいものです。

 組織としての枠組みを細部まで強化すればするほど、個人の能力に関わらず安定したサービスを提供することができる。その一方、個人の能力の向上や、想像力、思考力が失われていくでしょう。逆に、組織としての枠組を少なくすればするほど、個人の能力を発揮しやすくなるけれども、同時に、個人に依存した形は、サービスの安定性を欠くことに繋がります。

 教育環境に恵まれた児童・生徒が入る学校は、比較的、学校内の自由度が高い傾向にあります。学年ごとに、教育内容は全然違うことも多々。教員の授業も、(同じ教科内でも)その内容や進度は非常に異なる。そんな時、学校の中にある学年は独立法人のように、各教科の担当は個人事業主のように機能します。

 確かに、その人自身が、やる気があれば、自分の成長と共にどんどん、その業務内容はよりよくなっていきます。私の以前の職場も、上記のような形だったので、自分で好きな教材を選び、自分が良いと思うテストを作り、自分が効果があるだろうと思う活動を思う存分できました。もし他の人と協働で授業を作成しなければならなかったら、フラストレーションが溜まっていたと思います。

 しかしながら、組織で見ると、これは実はあまり褒められたものではありません。学校に入ってくる児童・生徒やその保護者は、自分たちで教員を選ぶことはできません。学年によって異なる(もちろん程度にもよるのですが)サービスを提供され、そこに明確な「良し悪し」があると、同じ金額を払っているのに不公平になります。

 教員側も、その全権が自分に委任されることによって、視野が狭くなり、自分のやり方が正しいと言う誤った思考になりがちです。

 組織体として大事なのは、どの学年団、どの教員に当たったとしても、一定の教育水準を担保することです。

 教員が個人事業主(つまり他者との関係性を排除すると言う意味での)として機能する組織は、育成能力の欠如に繋がり、結果、弱体化していくのです。個に依存した組織が滅亡を辿ることは、過去の歴史を見ても明らかだと言えるでしょう。

 「組織の強さ」と「個人の強さ」は、一見相反するものだと考えられがちです。しかしながら、本質的な意味において、それらは相互的なものであると個人的には考えます。

 構造的に強い組織は、個人に自由を与えるけれども、放任しないし、優秀な個人は、自由を上手に使うが、傲慢にはならない。

 そんなことを考えます。

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