#435 何のために学ぶのか。
私が教員時代に勤めていた学校は、中高一貫の進学校でした。入学してくる生徒は、ほぼ全員が大学進学を目指し、6年間で力をつけていきます。そんな中、私が「大学受験を突破するために」必要なことは2つあると生徒に伝えてきました。
1つ目は純粋な英語力を高めること。文法と語彙力という土台の上に4技能のスキルを磨いていく。それは決して「受験」を意識したものではないけれども、総合的な英語力が上がれば、結果としてある程度の難易度の問題なら対応できるようになる。
もう1つは、受験する大学の問題の出題形式になれること。難関の国公立・私立大学では、非常に癖のある問題や知識が問われることもある。本質的に言えば、それは英語力を鍛える上で、あまり必要がないのでは?と思うこともあるけれども(いわゆる受験英語というやつです)、自分が入学したい大学がそのような問題を出すのであれば対策をしなければならない。
そんな時、頼りになるのが「塾」です。塾は「学歴」という資格取得のため、各大学の問題傾向の分析・対策を徹底的に行い、受験を突破するための「最高の技術」も教えてくれます(余談ですが、進学が児童・生徒の可能性を広げるという意味に関しては、学校もそこにエネルギーをかける必要は当然あるものの、学校は本質的に「大学入試対策塾」ではないし、総合的な教育活動に従事する機関であるわけですから、塾よりは多少なりとも精度が落ちてしまう)。
教科・科目の学習レベルをある一定の水準まで伸ばさないと、どんな「技術」を使っても入試を突破することは困難であることは前提です。がしかし、「受験問題」にはその性質から、『東大生が、受験の英語・長文問題で「本文を読まずに正解を選べる」ワケ』の記事に書かれていることが起こってしまう。
仮にこの記事に書かれている「技術」で正解を導けるとしたら、塾はその技術を教えますよね?いかに、それは学びの本質とは違うって叫んでも、お客さん(受験生)のニーズは「合格」なのだから、教えない手はない。ただ、そのような技術を使って正解をして、自分の教科・科目の力が伸びたと勘違いする受験生(勘違いすることが全て悪ではないけれども)もいて、それは結局、技術を求めて楽をすることに繋がるおそれもあるのです。
それは試験問題に問題があるわけ(シャレじゃない)です。小手先の技術を使って解けるような問題を出すなよって話になるんですが、これは問題作成の限界点です。私も長文読解の内容一致問題を作る時、苦労しました。複数の同僚に確認してもらっても生徒からの疑問(クレーム)は出てきます。記事にも書かれているように、大学入試では、絶対に正解は1つに絞る必要があるので、問題作成方法や表現方法にも限界がある。その限界を「技術」でうまくやられてしまうわけなんです。でも考えてみたら、そもそも受験のために存在するリスニングやリーディングなんて存在しないし、選択肢なんて全て後付け。すると、この形式で測れる「学力」の限界が見えてきて、じゃ学歴って技術で獲得するものなの?みたいなことにもなる。
ちょっとごちゃごちゃ書きましたが、結局大事なのは、何のために学ぶかって話。技術を手に入れた「だけ」ではなんの意味もないし、技術があって悪いわけでもない。「学歴のためだけ」に学習した人は、結局いつまでも「学歴」にとらわれて生き続けます。学歴が高い人が本質的な学ぶ力があるのではなく、本質的に学ぶ力がある人が比較的高学歴が多いというだけ。みなさんは、どんな心持ちで学習してますか?