#692 若さが正義であるという錯覚
私は日常的に「記号」というものを意識していて、この言葉はコラムの中でもしばしば出てくる表現だと思います。
社会は性別、職業、収入などなど、私たちにさまざまな記号を与え、その記号が私たちを定義するのに役立っていると言えます。
一方で、そのような記号は時として私たちの自由や平等を制限し、その結果、ありのままの自分を否定することにも繋がりかねません。
日本において、「年齢」もまた私たちをしばしば不自由にする記号の1つ。
「〇歳なのに〜」という表現は、それがどのような文脈で用いられようとも、本質的には、日本社会の中に蔓延る、実態のない固定観念に人をはめようとします。
アメリカでは、Personal Resume(日本でいうところの履歴書)には年齢を書く欄はありません。年齢によって、誰かを定義することは、極端に言えば人権侵害にあたるからです。
今年、プロ野球セ・リーグを制した読売ジャイアンツの菅野智之投手が大リーグ挑戦を表明しましたが、『巨人・菅野智之、35歳にしてまさかのメジャー挑戦表明!メッツなどが視察済み、気になる予想年俸総額は?』など、彼の年齢に言及した記事が散見されます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b84275bd77265e5de4f3c9de1ce6cc1e4714fc05
年齢によって、さまざまなバイアスを与える今の日本社会の考え方は、年齢を重ねることに対するマイナスな印象を常に与え、まるで若いことが正義であるかのような錯覚を生み出す。
非常に怖い思想です。