たいへんグレートな一年

正月に帰省して、やっと少しだけ書く気が出たので2023年の振り返りをしようと思います。
去年はとにかく大変だった。良いことも悪いことも大変なことばかりでした。心穏やかに過ごせたのは年始の旅行くらい。
(これを書いている間に日本海側の地震が起きました。どうか無事でいてください。)
でもなんか思い出に残ることたくさんだったので書いていきます。

「粒々」MV

「裏命楽曲コンテスト」のために作ったこの曲。楽曲の構想は「感情は成仏しない」(2022年4月)と同時期からあったのですが、裏命が出ると聞いて真っ先に作ることを決めました。2022年のクリスマス〜年末にかけて全てを返上して作ってた記憶があります。年越しも曲作ってた。
そんな中発表されたコンテスト締め切り日の1ヶ月延長。嬉しいようななんというか…「え〜!う〜ん、そうかぁ〜」と思いながら複雑な気持ちで仕上げ作業をした1月でした。
この時期に空いた時間で行った山梨旅行が2023年最後に心が休まった年でした。この時点で残り350日くらい残ってるのに。
おかげさまで裏命楽曲コンテストでは入賞をいただくことができました。ありがたや…


1st Album 「亜種」リリースとボカコレ春参加

2023年は実質アルバム制作から始まりました。
なぜEPを作る前にアルバムを作りたかったかというと、ここで「自分のわがまま音楽」に終止符を打ちたかったからです。ボカロPをはじめて4年、理想としている音楽を作ることもできず、何がしたいのかもわからない時に(音楽と関係ない)人生で路頭に迷い血眼になりながら作ったのが「感情は成仏しない」という曲です。当時300再生くらいだったのが、そこからたくさんの人に知っていただけるようになりました。
と同時に「こんな」曲を評価してもらっていいのかという迷いを感じることも増えました。それはつまり自分の中でしか納得した曲を作っておらず他人様が自分の曲を聴いているという意識がとてつもなく足りなかったということです。
だからこそこの期間は自分と200%向きあいました。
ボカコレ春に出した「え???」という曲もこの時期の曲です。
「ダーク」が自分の個性だと思っていたので、あえてそれをぶち壊すために作った曲です。女の子って生きてるだけでえらい!自己肯定感上げてこ!って曲です。

ボカコレ春投稿日の当日、自分はレコーディングスタジオにいました。このアルバムの表題曲「亜種」のブラスレコーディングの日だったのです。
ボカコレ2日前に「え???」を完成後、睡眠時間が片手に収まるくらいで作ったのが「亜種」のデモでした。というかレコーディングなのにデモと言えないほど原型がなかった。
レコーディングは進んだものの、その一日では終わらず残りを2日後に行いました。(完全に難しすぎる曲を作った自分のせい)またその間にも別録音を予定していたキーボードレコーディングもしました。
当時Key.の乙竹君が「ブラスRECが3時間で終わらなかった?30分でREC終わらしてやんよ!」って言ってたらしいです。本当に30分くらいで終わった、頼もしすぎる。
あの1週間は本当に記憶がありません…

気づいたらボカコレが終わっていました。でもボカコレが追えないほどアルバム制作は佳境に入っていました。それなのに…
ここで音楽と全く関係ない生活の方で1週間試験勉強漬けをすることになります。当初予定していたスケジュールから某相手側の都合で突如3週間ほど前倒しになりました。これがどれだけヤバいことか…アルバム制作が1週間全ストップになるということです。お世話になっているアルバム制作チーム(CDデザインのコールスローイちゃんはじめアートワークの神多洋さんとマスタリングの有栖川繭歌さん)に超特大ご迷惑をかけました。本当にごめんなさい。そしてありがとうございました。
試験も終わり、アルバム制作も駆け足で、それでも確実にいいものが届けられるように毎日スピーカーと睨めっこしました。多分めっちゃヤマンバみたいな格好してた。
コールスローイちゃんには本当に本当に最後までこだわってくれて、自分がダメになってる時も細かい著作権の確認事項もリストアップしてくれて、本当に今思うと作品愛をどれだけ持ってくれていたかがすごくすごくわかります。
そして迎えたアルバム完成。必死すぎて「やったー!終わったー!」という感情が湧かず、「やばい!今のうちしか休めない!」と思って弾丸で昼からディズニーに行きました。
気がついたらボーマスのブースに立ってました。初出展なのに緊張する暇もなかったです。それくらい必死だったし何より楽しかったです。画面の向こうにいるコメントだったのが今自分の目の前で話してくれて、目一杯のおしゃれをしてアルバムを買ってくれている。サインを求めてくれたり、自分の曲を褒めてくれる。その体験で全て救われました。

愛犬の死と危機を感じる夏

ボーマスも終わり、やっと少しゆっくりできるから次にある大切なタスクを始めつつアルバムの配信出すか〜と思っていた矢先でした。
帰省中の弟から突然電話口で泣きながら「どうしよう、モモちゃんが死んじゃうかもしれない」と告げられました。
もうすぐ7歳になる愛犬のモモは自分が病気になって自宅療養している数年間、ずっとそばにいてくれたゴールデンレトリバーでした。
その時人生のフェーズの中でやるべき大切なことがあったのですが、やるべきことを全て投げ打って実家にすぐ帰りました。
幸い、生きているモモに会うことができました。その時点で内心ほっとしました。この先生きても亡くなっても、この瞬間に会えたことで深く後悔することはないだろうなと思ったからです。
原因不明で呼吸が浅く、吐いたり意識が朦朧としていたそうです。MRI検査をしようにも麻酔をかけたらもう目が覚めないかもしれない。それでも望みにかけて検査をしました。モモの頭には気づかないほど早いスピードで、頭の1/3ほどの巨大な脳腫瘍ができていました。手術をすることができない病院だっため検査した翌日には車に乗せて別の病院に転院することにしました。
車の中でも辛かっただろうに、モモが笑顔を絶やさなかったのを覚えています。本来犬に笑顔という表情はありません。それでも「飼い主がこういう顔をすると喜ぶ」と覚えてそうしているのです。
病院についてからすぐ緊急手術をすることになりました。動物の脳外科ができる珍しい先生が、予定がびっしり埋まっている中時間を空けて行ってくれました。
とにかく心配で心配で家族で何度も話し合いをしたし、それぞれが過ごしたいようにしました。家族はモモを信じて片道1時間半かかる家まで帰り、自分は少しでもモモのそばにいたくて一人で近所の漫画喫茶に泊まりました。
手術自体は上手くいったのですが圧迫されていた脳の血管が一気に広がることによってできていた血栓が詰まってしまいました。しかも運悪く呼吸を司る部分にだけ血管が詰まり、最期は自力で呼吸ができないため亡くなりました。
最期に家族で看取ったあの瞬間に、モモの目が光っていたのを覚えています。
それは線香花火のような光り方でした。
ああ命の瞬きってこんな綺麗だったんだなと思いました。

あの時ああすればよかったとかあまり考えることなく、後悔は人並み程度で済みました。それだけ家族全員が一人一人向き合った1週間でした。
それから家族で色々な思い出の場所に行って、モモとさようならをしました。

それからすぐ帰りました。人生のフェーズで大事なタスク(年齢を公開していないので詳しくは言えませんが、おそらくほとんどの人がいつか向き合わなきゃいけないあれ)に向き合うためです。
苦手なことを強いられる日々は苦痛そのものでした。曲を作ることもできずずっとやらないといけない。
いつしか1日の2/3は眠るようになりました。

「亜種」MV

アルバムに収録されていた楽曲「亜種」のMV制作ミーティングは帰宅後すぐに行われました。序盤は順調に行っていたのですが、制作にトラブルはつきものです。それでも全員が全員全力を尽くしてものすごいMVを制作してくれました。
神多洋さん、nekosoraさん、コールスローイちゃん、CloAさん、有栖川繭歌さん、素晴らしいMVを制作していただき本当にありがとうございました。
犬の死からあまりいいと言えない日々が続いて、ボカコレ前にはついにお祓いに行ったりもしました。そこまで信じているわけでもないのですが、とりあえず自分のリフレッシュにでもなればなと思って行きました。
初めてコールスローイちゃんと喧嘩みたいなものもしました。結局双方の勘違いだったことがわかったので本当によかった。「電話しない?」って言われたあの時もし電話していなかったらどうなっていたか、考えるだけでも怖いです。
その瞬間に今まで漠然と感じていた「自分だけが納得する音楽をやめたい」という感情がしっかり芯を持って「周りの人のために、聴いてくれる人のために曲を作りたい」という感情に変わりました。意図せず自分の創作で大切な人を傷付けてしまうのはもう嫌です。

ちなみに、亜種MVの中で出てくる「隠れ犬」は前述したモモです。
実際の写真をもとに神多洋さんに描いていただきました。
洋さんは実家に来てまでモモに線香を上げてくれて、本当にありがたかったです。

「嘘泣きはドラマのはじまり」とひたすら作曲する日々

やるべきこと全てが終わり、作曲しようにも5ヶ月ほどのブランクが空いていました。その時にいただいたのが分散型自律ゴーレムりむるのお話です。いただいたキャラクターに対して真摯に作ることによって自分も救われていました。
とにかく必死に曲を作りました。でもそこに辛さはありませんでした。ただただ自分の好きなことを一生懸命にできる幸せを感じました。
3ヶ月に1曲しか書けなかった自分が、9月〜12月で6曲作れるようになったのは機会に恵まれたからだと思っています。本当にありがたいです。

「ライブ放熱vol.2」出演

今年は
・ライブおひとりさま(3月・ライブ)
・Super Vocaloid(5月・DJ)
・Vorderless (8月・DJ)
とさまざまなライブ・イベントに出演させていただいたのですが、その中でも一番印象に残っているのが「放熱」でした。
普段演奏をしない打ち込みのスタイルで音楽を作っている自分にとって、初のバンドライブはリハーサルからわからないことだらけでした。だからこそ3DEN君、ギラさん、なおkさん、海風さんの支えがすごくありがたかったです。どれくらい注文していいのか、どうやったらバンドの空気がよくなるのか、わからないなりに色々考えました。自分でも自信がないなりに練習しました。
これをいつもやってるバンドマンって本当にすごいなって思いました。マジですごい。
2ヶ月間をぶつけることができてすごく楽しかったです。自分の歌を見て興味を持ってくれる人がいて、すごく幸せでした。

宣伝タイム… 1月28日(日)に下北沢のMOSAiCにてライブ「東京都心はパラレルワールド vol.1」に出演させていただきます。編成にキーボードを加え、全力で用意しているのでぜひ来てください。お待ちしています。

入院と手術

ライブを行った1週間後、体にある腫瘍を取り除くために入院・手術を行いました。
特にこれといった大変なことはあまりなかった(痛みに耐えて寝るくらい)のですが、全身麻酔をする瞬間にモモのことを少し思い出してちょっと怖くなりました。
無事何もなく終わり、今は健康です。

秋ボーマス

ボーマスでは二つのコンピに参加させていただきました。

・「Doubt Me!?」
通称道民コンピ
在庫を持ったメンバーが遅れるというトラブルがありましたが、少しでも手に取ってくれる人がいてよかったです。リベンジしたいですね…

・「やってられねえぜの会」
飲み友で作られたコンピ
普段から飲みで集まっているメンバーでコンピを作ることにしました。
みんな適度にテキトーなのがありがたいです。

家族旅行と友人との旅行がたまたまこの時期に被りました。
短い時間だったけど、少しでも色々なところを巡ることができて楽しかったな。

プロセカアカデミー参加

これが今年最後のビッグイベントかもしれない。
選んでいただくことができて本当に光栄です。
そして今まさにそれと闘っています。
夏に感じてきた悔しさをバネに、周りのために、他人のために作れる曲とはなんなのか。自分が持っている音楽性や技術で作れる曲はなんなのか、どこに成長の余地があるのか。
自分に足りない技術・感性・分析力・インプットの分野、全てを吸収して出し切ろうと必死になっています。
拙いながら毎日向き合う日々です。
インタビューでも「プロセカのキャラクターと自分をしっかり擦り合わせていい歌詞を作りたい」と語ったのですが、プロセカのメインストーリーで語られる音楽活動の大変さや素晴らしさ、原点回帰の大切さをひしひしと感じながら歌詞を書いては消し書いては消しを繰り返しています。
作曲編曲もギリギリまで追い詰めて頑張っています。
そろそろ気づいたけど自分はギリギリになりながら曲を作る時にこそいいものができるタイプなんだろうと思います。本当は安定していい曲を作れる方がいいんだけれど。

2024年もがんばるぞ

必死に泥臭く生きてる方が自分らしい。今年も全力で突っ走ろうと思います。
あと3ヶ月のうちに少なくとも3曲は出るし、超ボーマスも控えています。
その一つ一つを大切に全力を尽くしていこうと思います。
2024年も、IQYUを何卒よろしくお願いいたします。
あ!あとYouTube登録者一万人(!!)を目指しているのでぜひ登録をお願いします…!


おまけ
noteを書いてる間に聴いてた曲
良すぎる




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