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コンピューターとの付き合い方


徳川 義崇
((公財)徳川黎明会)


 初めてコンピューターに触れたのは,高校3年の選択科目の授業だった.隣接する大学の大型計算機センターの設備を使いBASICを勉強した.大学に入り,自分でPC-8001を買い,独学でBASICやC言語の勉強も続け,大学3年生くらいからプログラミングのアルバイトをしたり,パソコン雑誌で記事を執筆するようになっていた.大学を卒業すると,小さなIT企業に就職した.村井純先生との出会いもあり,1990年代の前半,日本のインターネットの黎明期にインターネットの構築に携わることもできた.気がつけばコンピュータ歴も45年を超えたが,この間のコンピューターの進歩は目覚ましい.

 やはり最近の動向で注目するのはChatGPTのようなAIの台頭だ.私がコンピューターを使い始めたころは,コンピューターがオセロやチェスのチャンピオンに勝つ時代はやってくるが,将棋はルールが複雑なので,将棋のチャンピオンに勝つことはできないと言われていた.それが今や,ビッグデータを駆使し,人間ではとても覚えきることなどできない膨大な量の過去の棋譜を参考にして駒を進めるAI将棋に,トップクラスの棋士しか勝てない時代になった.

 企業や大学などでも,AIを積極的に導入しているところがあり,巷には活用術の書籍が氾濫している.私も実際に簡単な翻訳や検索に利用してみたが,適切な回答をしてくれて感心したことがある一方で,著名人について質問したら嘘八百の経歴を教えられたり,まったく期待通りに動作しないプログラムを回答されたりしたこともある.

 新しもの好きの知人がChatGPTを試し,「便利ですよね! エクセルのマクロが書けないので書かせてみたら,ちゃんと使えるんです」とのこと.私は背筋が寒くなった.すかさず彼に,そのマクロが正しく動くかどうかを検証できる知識がないならば,そのマクロを使ってはいけないと忠告した.また,使った結果として被害を被ったり,他人に迷惑をかけたりしたら,ChatGPTのせいにはできない,つまり自分が責任を負うことを覚悟しなさいと言い渡した.彼がChatGPTに書かせたマクロは税金の計算式のようなので,マクロが間違っていて多く税金を払ったとしてもそれは授業料だと思えばいいし,少なく払って追徴課税されても人には迷惑はかけない.しかし,たとえば投薬量の計算をするマクロが間違っていたとしたら,その結果として死人が出ることもあるかもしれない.AIの利用は,その回答に責任が持てる範囲で利用する分には大いに利用するべきだと思うが,責任が持てない状況の場合には,使ってはいけないと私は考えている.

 便利な時代になったと言うよりも,すごい時代になったと言う方が適切かもしれない.自分にはできないことをAIに頼るのではなく,自分でできることだけれども時間が足りないとか,単純作業でやる気にならないような仕事を任せるのがいいのではないだろうか.過信することなく,適切な距離を保ってAIと付き合っていきたいものだ.

(「情報処理」2025年2月号掲載)

■ 徳川 義崇
1961年 東京生まれ.学習院大学卒業後,約10年間インターネット黎明期のネットワーク構築・運用に従事する.現在は(公財)日本博物館協会副会長,(一社)全国美術館会議副会長など,美術館関係の要職にある.