24/12/9
こんばんは1Pです。こんばんは。
大阪に帰ってきました。
友達は出社だったのでそれに合わせて家を出たのが朝8時。
それから、近所を色々と徘徊しました。
やはり東京に来るたびに思う。
東京の風景は非常に調和がとれていて、景色や季節にマッチするように町を作っているように見える。
創作された自然感が至る所に散りばめられており、
そこに内在する人間のエゴい部分が垣間見えると一気に冷める。
それをしっかりとオブラートさせられているその絶妙な塩梅が東京ではセンスとしての基準になっているような仮説を立ててみました。
全然そんなことはないかも。
ただ、大阪は退廃と都市化のミックス、調和というよりは乱立・混沌に近い。そういった調和を目指す開発はまさにうめきた二期だと思うけど、東京ほどそういった空間がスプロールしているわけではないので、東京の都市化の立派さには感嘆する。
世田谷の色々な場所をうろちょろしたけど、地図アプリ見ると面白そうなところいっぱいあったので、また行きたいな。
住みたくはないけど。
東京農業大学のキャンパス内を徘徊してみましたが、
農、緑と都市とのバランス感覚がかなり取れているなあと思いました。見れば見るほど徘徊したくなるキャンパス。色々と案内してほしい。
東農大の近くには馬事公苑っていうJRAの施設もあり、
初見だったけど、広すぎる芝の広場に寝そべった時の気持ちよさは快感でしかなかった。季節が春なら朝から夜まで寝そべりたくなっていただろな。
近くにはコーヒースタンドもあり、とても過ごしやすい。
でも世田谷の中心にこんなバカでかい施設なんて固定資産税スッゲェだろうな〜とか要らん大人な自分が出てきたのでとりあえず射殺して寝そべりました。
馬には全然詳しくないですが、馬事公苑の名の通り、馬もいました。
馬術?の練習をしていたのかな。それも至近距離で見学というか休憩がてらみてても全然いい。こんなん有料コンテンツであれよ。
動物が健気に走り回ってる姿見ながら日向ぼっこできる平日の昼間何?
ちなみに今日の1Pの仕事はしっかり有給をいただいております。
有給消化して見る乗馬は楽しいZOY
てなわけで東京散歩を楽しみ、大阪へ帰ってきました。
自分の想像以上に体は疲れていたのか、新幹線で色々と動画の編集をしようと思っていたけど、目を閉じて開けたら京都にいました。
んで、帰宅して、BIGCATでPale Wavesのライブへ。
最新のアルバムはそこまで聞き込んでないけど、昔コピバンをしてたこともあったくらいには好きなバンドなのでライブが見れてとても嬉しかった。
バンドはギターが不在で残念だったけど、耳に覚えのあるソリッドな16ビートが確かに聴こえてきて自然と体が小気味よく動く。曲もメロのキャッチーささながら、客も尻上がりに盛り上がっていき、とても楽しい空間だった。
個人的にはMy Mind Makes Noisesの曲を何曲かやってくれて嬉しかったんだけど、Eighteen結構みんなスンッ…て感じの反応やったの恐怖だった。6年の歳月は長いのか…と知らされました。
でもやっぱりコンスタントにいい曲を書いてるバンドだからこそ、長いこと日本でもファンがいてライブをやっても俺みたいに行こうと思ってくれる人がでてくるんだよな。
昨日も自分がライブをやる立場で思ったけど、普段はわかんないけど、実際にライブをやると、こんなに自分らのことを待ってくれている人がいて、その関係性をつなぎ止める音楽がどれほどの星の数から結びつけてくれた奇跡なのか、クサイことをいうでもない、紛れもない奇跡なのかを感じざるを得ない。
昨日もファンの子が終演後に話してくれて、3年ぶりにきてくれた人だったんだけど、行けない間も曲は聴いていたし、ライブが行けない間は行けなくて悲しかったけど、実際にライブを見ると、ちゃんと好きなのを再確認したし、一曲一曲噛み締めながら見られたと言ってくれた。
(俺は演奏中、同期が急なオーバーロードで1拍ずれたのをどうしようか一生考えてくそ不服そうな顔でライブしてた。反省。)
そう言ってもらえるとやっぱりライブでの目指すべき根本はここなんだと思い知らされる。自分やその人、その人以外の音楽を聴く人々全ては止まることのない環境の変化の中で生きており、ファンは常についたり消えたりするもんだけど、それでも見続けてくれる人は本当に大切にしないといけない。
見る方の立場でも、今日のPale Wavesのように、自分の環境が変わったり、音楽性が変わったりメンバーが変わったりしようとも、自分が好きであるうちは好きであるという事実を大切にし、そのアーティストを応援しようと思う。特にバンドなんかはすぐ休止したり解散したり死んだりする。だからこそ自分の気持ちに素直に、時間やお金のこともあるけど、多少は何かを犠牲にしてでも応援する/される覚悟は大事だと思いました。
取るに足らないように見えて音楽を表現する者の根幹にある、大事な気持ちの話。