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恐れ入りますが

ってよく耳にするし実際に使う。
社会に出て1番初めにビジネスメールや電話の要領を得ると思うが、そこで何の気なしに使われるこの言葉。

電話の最初には
恐れ入ります。どこどこの○○です。

メールの末尾には
恐れ入りますが何卒よろしくお願いします。

という具合に。
ぶっちゃけ僕らは何に恐れ入ってるのか。
めっちゃ忙しいのは重々承知なんやけどちょっと用あんねん。話きいてくれへん?おこらんと聞いてなあ〜
ってニュアンスなら今その用件をするな、もしくは恐れるな。

かく言う僕らですら定型的に使いすぎて誰も恐れ入ってない。ましてや恐れ入って電話かけてきたはずのジジイがその電話でブチ切れてきたりする、恐れるべきはどっちだ。
こうした言い回しを日本語のもつ奥ゆかしさとして処理してしまうのであれば抜け殻と化したこの奥ゆかしさに物申す奥ゆかシストなんて人がいてもいいような気がするくらいである。

ただ、この言葉を本意のままに使っており、本当に恐れ入って電話ないしメールをしているのであればこの社会は窮屈すぎるしビビってばかりなものである。ビビってばかりの国だしビビってない夜を知らない。

ただもうこれは簡単な話で、皆都合のいい何かしら丸くてしっくりくるものを求めているだけなのだと思う。
それは緊急事態宣言下の自粛中であっても何食わぬ顔で24時間営業するコンビニのように、
引っ越しの時にかかる数万円のハウスクリーニング代のように、
猛勉強に励む受験生の机の上に置かれるグミやボトルガムのように、
人は誰しも、確かに存在しているが妙に意識的に咎めないギリギリのなだらかでまるっこいものを求めているんだと思う。
そういえば生まれた時からそうだったな、母親の胸に本能的にしがみついていた赤ちゃんの頃からなんも変わってない、その癖に社会の歯車に嵌らないようなことがないかビビり倒してる自分は共同体に醜いほど理性的にしがみついてる。
賢くないよなあ。

恐れ入ってるのはメール相手でも電話相手でもなく自分の内面にある妙なしこりを刺激してしまわないためなのかもしれない。

今日も明日も課長の前で堂々と泣きわめけるのは僕らではなくて赤ちゃんの方だろう。

恐れ入ります。

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