今どうしてる?
Twitterは自分の正当性を推し量るためのものであってほしかったのだが、どうやらなりえることはないらしい。
Twitterは多様な意見に触れることで自分の中のステレオタイプを取っ払うことができる
ように見せかけて、
多様な意見に触れ、自分と同意見を持つ仲間と共に他者の意見を排斥することで、自分の意見の正当性を裏付け(たつもりになって)仮想的なソーシャルネットワークへの帰属意識を得ることができる。
○○万RT、××万いいね
がつく、
所謂バズっているツイートをみて、
それをあたかも世論の中心だと考えることはあまりに浅はかである。
Twitterはあくまで自分から見たいもの、得たい情報を作為的にピックアップするSNSである性質上、影響力のあるツイートであっても大きな社会共同体の枠組みとしてTwitterを捉えたときに、影響力のあるツイートがマジョリティとして機能するかどうかはわからない。
ただ、一つ言えることは、Twitterのそういったリアクションの大きさを以てしても当然として集団心理が反対意見を排斥することは許されてはいけない。
そんなことは、ひとの自由に触れることなんだからあるわけないじゃんとお思いだろう、が、やってしまってませんか?
ちょっと影響力のあるツイートに対して脳死的に受け入れてしまっていませんか?
Twitterの世界だけで自分の中の世界を基準化してしまっていませんか?
なんか最近酸欠気味なのは、他者を認める門戸を広く開けるフリをして、入れるのは実は裏口からだけでしたという具合に、多様な意見を認めるような構えでありながらも容赦なく多様性を切り捨ててしまう、そういった事象に数多く遭遇してしまっているからかもしれない。
はやく酸欠気味な社会から脱却してノーマスクでみんなとピクニックでもしたい。
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