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お財布に火がついて党員になる。No.あ
ヤバい?
多分、20代の私からしたら、壮絶にヤバい。
自分の手持ちのお金の総額も把握していないし、20年近くもらってきた障害年金は年末で切れる予定。
ノストラダムスの大予言の年に突入した精神病が、5年前に、思いもよらず治ってしまったのがいけなかった。
それでも、本気で焦るほど、まだ社会性が戻ってきていない。
というか、今の時点で本気で社会性が戻ってきたら、また病気が再発するだろうし、そんなリスクは、地べたを這いずり回ってでも生き延びてきた自分には、到底負えない。
イオにとっての今のいちばんの社会性は、ほんのちょっとだけの課金で使っているゲーム、ピクミンブルームのピクミンたちが、すぽーんと鉢から登場するときの細やかな動きや、このゲームで使用されている半仮想の地図の上にあった。
社会性とは、社会を共に運営している人たちとの共有度や共有感覚である。多分。
なので、上記の固有名詞に対する意識は、現実にいるのであろう人たちとの共有度の点で、という意味である。多分。
長く社会不適合者として生きてきたイオにとって、確かなことなんて、ほとんど担保されていなかった。
そんなものを担保しようとしたら、中央の正しさに振り回されて/その余波で常に破綻しまくっている周縁では、生きてこられなかった。
そんなイオにとって、スマホはある意味、社会との命綱になってきた。
個人端末が人権を担保する、という意識を持つくらいには。
そんなスマホをその日も覗いていた。
アカウントを、動画編集ソフトのオブジェクトのレイヤーのごとく、幾つも並行して断続的に15年くらい続けてきたSNSで
(と言っても、使い分けていたというより、イオにとってのSNSのアカウント問題の常で、虚偽のない自分でありたいという気持ちからだったりする)、
たまたま流れてきた投稿に、
「基礎控除」
の文字を発見したのは、数週間前のことである。
イオが、発病前にフリーの編集者として働いていたときに、毎年の確定申告でお目にかかっていたワードだった。
(中略)
それで、とある政党の党員になってみた。
党員ってこんなにサクッとなれちゃうのね。
スマホの画面に出現した党員証を眺めながら、イオは、政治と全く関係のなかった人生の自分が妙なところに突っ込んでいるのを確認しつつ、この行動がイオの瀕死のお財布に届く可能性について、軽く笑うしかなかった。
病気が治ってからの数年で、過去生まで思い出して泣きまくっているイオが、どのくらい世界に絶望しているかなんて、現実だけで上手く生きられている人に分かるわけがない。
そんなことは、この20年ほどの闘病生活(←自分認定)と障害者生活(←国認定)で百も承知だ。
(つづく)