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お財布に火がついて党員になる。No.え

イオが、どさくさに思いついた「マネハラ」、マネーハラスメントについての考察を得たら、さらにひどい過去生を思い出したりして、

「お金コワイ!受け取りたくない!」

みたいになって、道を歩いている最中に、まさかの号泣状態に陥ってしまい、そのメンタルだと、イオのお財布には大打撃なわけである。

しかし。

このマネハラだらけの過去生をもってして、ここで大号泣に至る人生で、そこんとこ譲ったらダメなんでないかい。

ということで、ここまでにも書いてきた、安全安心なリセット済みの国からのお金を期待したい、とイオは思った。

しかもね?

誰かがもらって誰かがもらわない、というのでなく、

(それだと、イオがもらってるのズルーイ!とか様々な方面に遠方から言われるからだ。ズルいと感じられる方面てやつが、一方向からではないのが面倒である)

国民全員。同額。

それだったら、誰も誰かに文句言わないし、よかったねー、国ありがとう、ですむ話なのだ。



20代の頃のイオは、いわゆる意識高い系だったので、ベーシックインカムという、夢のまた夢すぎる制度を知って、働き手としてフリーの身だったし、企業のような福利厚生系のサポートも受けられないし、年金は額が高くなる一方だし、郵便局の定期の金利はダダ下がりだし、夢のまた夢でも、実現されたらいいなぁと思っていた。

そもそもイオは、ただ生きるのにお金が必要な理由が、どうしても分からなかった。

でも、別に、積極的にお金をお金として稼ぎたい人、例えば、お金を貯金や通帳の数字のために稼ぐ、とか自分の能力を試したい人が試す、とか、豪勢な生活をしたい人が見栄のために頑張る、とか、稼いで自分じゃできないことやってくれてる人たちに寄付したいの、とか、そういう副次的な欲求のためにお金を稼ぐのは、全然いいと思っている。

でも、そういう人たちが稼ぐお金のエネルギーのせいで、ただただ生活をしたい人が、生活するためだけに使おうとするお金のエネルギーを、圧迫してるような気がしてきたのだ。

ただ生きるって、そんなにお金を媒介しないとできないことなのかな?

それも、贅沢方面(能力だって、ある種の贅沢品だ)に感じるのと、おんなじエネルギーのお金を?

生活に必要なお金は、それ用のお金になったらいいのに。

働かないで生きられたらいいとか、お金が存在しなけりゃいいとか、そういうことよりも、使い途で、ちゃんと分かれていたらいいのに、と思ったのだった。

例えば川の水で言うと、大金の動きは川面をどざーって急流だったり、広くて大きな強い流れだったりして、個々の生活用のお金は、川の端っことか底の方に追いやられがちなのでは。

今のイオは、まさに社会の端っこにいる分際だしね!



ベーシックインカムのようなものについては、病気が治ってから特に、いろいろ考えが浮かぶ。

生活用のお金がもらえるとして、今の、コンビニ等発祥で商品を管理しているPOSシステムと、法定通貨つまり円をベースにしたデジタルマネーとを組み合わせて、

とイオは妄想する。

一つの商品の値段の中で、生活に必要な分と、その商品を作ってるブランドの分と、贅沢方面ならそういう区分も内訳で入れておいたら。

実はイオが数年前、病気が治った頃に、社会復帰を考えていて参加した、社会課題について話す場で、知らない人にベーシックインカムの話をしたときに、

「生きるために配られるっていうけど、それをお金とかギャンブルに使われちゃったらどうするの?」
って聞いてきたおっさんがいたのだ。

なので、該当するものとしないものをあらかじめ分けておくんですと言ったのだけど、

「いやいやきっと、欲に従って、他のものに使っちゃう」

って、納得してもらえなかったのだ。

だから、商品や商品の部門ごとにベーシックインカムに使えるかどうかで分けるのは、お金を支払う側も支払われる側も、きっとあんまり納得いかないんだな、と感じていたのだった。

何を何の理由で買いたいかなんて、意外に違っていたりするかもしれないし。

例えばイオは、無印良品というブランドが好きだけれど、生活に必要なものとしてこのシンプルな商品デザインを気に入って買っているものが多い。
だけれど、その商品ができている過程で、使われているのが天然素材だとか安全を加味した原料だとか、もしくはブランド自体のラインナップだとか、おそらく無印良品の様々なコンセプトがそこには入っていて、その部分は、イオがある程度意識した上で、無印というブランドに支払う分だったりする。そこはある意味、最低限の生活外のことだと言えると思う。そして、ものによっては、イオには贅沢なものや値段だったりする場合もあって、自分へのご褒美に買うこともある。

その商品を、イオがそのとき最も何の理由で買っているか、というのには、その時々でも誤差がある。
一つのブランドで言っても、そんなことだ。



イオが、ベーシックインカムのことを初めて直接知らない誰かに話したその頃は、まだデジタルマネーが、ここまでのバリエーションを兼ね備えて巡るなんて考えられないときだったし、デバイスの個人所有が進んで、決済システムがここまで細やかに開発定着するとも思っていなかった。

「夢が夢物語じゃなくなるときだって」

とイオは呟いて、でも、そのあとの文末の語尾は、言わないでおいた。

散々、否定されてきた自分のことを重ねてしまったからで、イオ自身の夢なんて、持てるような人生じゃなかったからだ。

夢がなかったのでなく、言語化することで潰されるのを遮るため、言語化すらしないできた。

でも今は、イオのお財布にはお尻に火がついている状態なのであって、背に腹を変えている場合ではない。

このお金の循環を、実現するには?
お金が怖いイオが、お金を受け取るには。
人とのしがらみがリセットされた、お水みたいにクリーンな状態で、つまり、国から直にお金を受け取るには?



まずは循環してもらわないと始まらないけれども、実は、イオが突っ込んだこの党の政策の一つに、「いのちの口座」というのが掲げてあって、103万円の次にこれもいいなぁ、とイオは思った。

国からのお金を受け取るのに、銀行口座を書くのがあんまり嬉しくなかった(特にイオのママが嫌がった)イオは、国から来るお金用の口座を作ろうかと思ったことがあるくらいだ。

イオはここら辺の件について昔、日本の銀行、略して日銀が、国民全員分の口座を作ってくれたらいいのに、と思っていた。

国とのお金の、収入と支出をやりとりするだけの。
そうしたら、国は国民の資産にタッチしないですむのになって。

「いのちの口座」をまぁ、そんなふうに勝手に解釈して、国とイオをつなぐ回路のようで、楽しみだなぁと思うのだった。



さてしかし、すぐにこの仕組みが発動できないとして。

万事休すなイオは、そのとき、党のもう一つのワードが浮かんだ。

それが、

「手取りを増やす。」

というやつだ。

件の政党には、この政党に気づくきっかけになった基礎控除のことだけでなく、生活費に使ってもらうお金として、「手取りを増やす。」というかなり大きく打ち出されているメッセージ?というのがあって。

もしかしてこれが、政治界隈で、守られないことで有名な「公約」ってやつだろうか?

イオの手取り。
手に取れるお金?手にできるお金?すぐに使えるお金?
果たして増えるのだろうか。

そのワードをじっと頭で転がしていて、いきなりイオは、このワードの文字を、ハンコみたいにデザインして、イオの生活のあちこちに貼りたくなった。

シール?はんこ?

そのときに浮かんだのが、焼きごてだった。

食品にも布にも紙にも木にも、割と好きなところに焼印を入れられるらしい。
はんこや焼きごては、いったん作れば、永遠にそのデザインを、物質に転写しつづけられるところがいい。

卵焼きにも。
パンケーキにも。
机にも。
押していいなら好きな服とかにも。

え?

とりあえず、いっぱい眺めたら、もっといい案が浮かぶかもしれないし!

そんなことでまず、勝手にデザインだけして、身の周りでちまちま展開するか。

相談する勇気はない。
その方法がよければ、党の方でもやるだろ。

ってことで、簡単に画像を作れるというので市民権を得つつあるCanvaというソフト(最近は、ソフトというよりアプリだろうか?)で、作ってみた。

フォントは、イオが好きでCanvaではよく使っているNew Tegomin。

この周りに飾りが何かほしいけど、、とイオはいろいろ試してみたが、焼きごてのイメージには繊細すぎた。

ふと、党のキャラクターとなっているウサギが出てきてくれないかな?と思った。

このウサギは、両耳がライブで使うスティックバルーンみたく無駄に長くて、それがゆらゆら揺れる様子が素敵なのだ。実はこの耳を、ウサギが自力でも動かせるのを知って、イオは目を輝かせ、ますます素敵に感じるのだった。

このウサギの顔の形を拝借して、ワードの周りを、手書きの圧が表現されるタイプのペンでかたどった。

「うーん、ラブリー」

イオはちょっと、にこっとした。

そのラブリーな図案がまず最初に転写されたのは、イオのスマホのロック画面だった。

ちなみに色は、iPhoneロック画面のデュオトーンの黄色。

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