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お財布に火がついて党員になる。No.い
「基礎控除」
イオが党員なぞになった理由の大元を辿れば、ひとえにこれである。
その投稿を読んだとき、すぐに自分の基礎控除に関する経験と、基礎控除を引き上げる案への肯定の意見とを書いた。
そのくらい、そのアイディアが良さげだったのだ。
こんな説明がSNSの投稿で流れていたのは、実は、衆議院選挙が近かったからだった。
イオは、病気になってからというもの、当時30歳だったけれど、それまでとは選挙への関わり方が変わってしまった。
その病気というのが、精神病でも数多の悪名高き妄想で有名な、統合失調症という病気であり、はじめの急性期には病識がなかったものの、現実の捉え方がどう考えてもそれまでとは異なっていて、現実がどうなっているのかも危ういなかで、政治の世界というのは、当時のイオからすると、ほとんど陰謀論に近いようなエネルギーに包まれていた。
イオの妄想はそういう領域へは、結局最後まで、つまり病気が治るまでほとんど達することがなく、行って国交問題程度の、つまり日本から飛び出た比喩度が強烈な分野への懸念が感じられたくらいで、それをまともに自分の中には取り込まなかったし、ましてや国内の政局のような、いわゆる「喫緊の人間関係」が比喩されそうな分野は、イオの脳内へは介入してこなかった。
側からどう見えようと、イオの認識としては、そうだった。
それよりも、喫緊の人間関係は、彼岸にいて決して会うことができない一神教の神との対話のようになってしまい、その感覚を妄想だと認知して、ある種の、自力で起こした洗脳を解除するので、必死も必死、精一杯だった。
最愛の人をあきらめるに等しいそちらの苦しみの方が、病気よりも本気で取り組んだ分、イオにとっては、人生で最も死が近くなった案件だった。
まぁそんなことで、喫緊の人間関係における倫理と正義と愛憎が渦巻いていそうな、しかもマスコミの報道のありようから、陰謀論にも容易く接続しそうな政治の分野には、たとえ清き一票な選挙といえども、自分を守るために、長らく近づきたくなかった。
その延長で、冒頭の「基礎控除」が話題の一つなのかもしれない選挙にも、その地域に越して2年経っていなかったこともあって、地元の様子がよく分からなかったのを最大の理由に、当日は別の地域で過ごし、投票は棄権した。
選挙後に居住の地域に帰ってきて、選挙の結果を見るともなく見たら、つまりはまだ政治系の情報摂取に怖々だったわけだが、どうも、あの「基礎控除」のことを政策として掲げていた党がずいぶん躍進したらしい。
ここでようやく党の名前を覚えた。
そしてその様子が、どうも久々に訪れた政界での快挙のようで、連日報道を目にしたので、その数日のうちに党の代表だという人のことも認識した。
彼の顔を見たとき、イオはもしかして、と思った。
こういうときの勘は結構当たっている。
同じ歳。
イオは、なぜか同じ歳の人たちに、それ以外の人たちとは比べ物にならないくらいのシンパシーを感じるたちらしいのだ。群れる動物の年だからだろうか?
病気になってからは親しい友人にもほとんど会えておらず、なぜなら、人に会うのが大変だったからなのだが、同世代の人だと分かっていて人を見るのも久しぶりだった。
社会から長く離れていると、社会感覚は確実に失われる。それに、かつての学友たちが、幸福そうに家族を作っていたり、社会で活躍する姿を見るのは、正直厳しかった。
なので、本当に久々にストレートに、同じ歳の人というのを意識した。
「自分と同じ歳の人というのは、今現在、このような形で社会で働いているんだな」
それがまず強烈に感じたことだった。
しかもこの人の存在や存在の確からしさは、伝聞や推定などではなく、公的な文書に名前や誕生日が書いてあって、同じ歳というのが紛うことなく確実で、ある人物に対してのそういう確実性さえ最近はとても不明瞭で、すっかり失われてしまっていたことにイオは気づいて、軽くショックを受けた。
この人に頼ってみよう。同じ歳のよしみで。
イオは咄嗟にそう思った。
誰かの存在の確実性というものを、いきなり理由も分からずイオを置いて煙を巻くようにいなくなったりしないということを、今の彼女が明確に得るには、公的に出現してくれる人、しかもドラマなどのフィクションに関わらない人がいちばん効き目がある。
確認のためのリソースは、山ほどある。
ネット検索におけるニュースの出現度合いやSNSでの各種の投稿を確認して、そう決めた。
公的な人なら、そうそう会えないだろうからむしろ安全だし。
と思ってみたのだが、政治家のはずなのに「売れない地下アイドル」ととある番組で評されていたのを見て、なるほど、政治家というのは、少なくとも選挙のときには、のべつまくなしに握手もいっぱいするだろうし、ツーショット写真もいっぱい撮られるだろうし、意外とアイドルに近いファン対応をしなくちゃならないんだろうな、とも思った。
韓国の若いイケメン俳優に熱を上げているおばさま方を、以前住んでいた地域にあった某有名なスタジオ前を通りかかるときにたくさん拝見したし、真面目度や生活への有効度、実質度が違うだけで、自分捧げの救世主構造としてはあんまり変わらないんだね、とイオは理解した。
別に、それで政治がちゃんと動いていけば、もしくはできるだけ犠牲が少ない形で変わっていけば、国民意識の表面上は問題ないと思うけれども、この人が結婚している以上、一方的なエネルギーの注ぎすぎは、潜在的にであれ、こちら側が不倫を仕掛けてるようなものだよな。
イオは、気になった相手にパートナーがいることが分かったり、知り合ってから途中でできたりした場合には、即刻それまでの縁を切りかねないくらい、そういう感覚が好きじゃなかった。
何より相手との関係性や距離感を、見誤ったり勘違いしたりしたくなかった。
だから、同性で親しくなりかけた人にパートナーがいた場合にも、相手の顔すら覚えないようにするくらい、用心していた。
でも、この人、公人だし。
現実的な知り合いになんて、万に一つの可能性にもならないし。
万に一つ?
絶妙な正当性があって、国民的な正義だったりもするので、脳内倫理観からの叱責があっても容易に自意識内で隠蔽が可能で、昔よくテレビで流れてたお昼のメロドラマよりもはるかに現実に近いに違いない。
うまくすれば国や政治、地域環境だって動くし、これは社会を直接動かせないポジションにいる女性ほど、ハマる人がいるだろうなぁ、と思うのだった。
政治に疎い人でも、これはどの分野でも言えることのようだけれども、そこに好きな人を作ってしまうのがいちばん、その界隈を理解したり勉強したりするのには手っ取り早いそうだ。具体的な語学を日常レベルで学ぶのには、その語学を使う人を彼氏彼女にするのが最も早いと言われるのと同様に。
このような遠距離からの無責任さの集合体が、真ん中にいるこの人を殺してしまったりしないのだろうかと、少し危ぶみながら、この機会に政治でも学ぶか、とも思ってみる。
そして一瞬後に、
いやいや。
それよりも、とイオは呟く。
「私のお財布」。
幸いなことに、この人や党の周囲の方々の様々な発信と政治状況とを並行して拝見する日々を過ごすことで、この人の物理現象的に不動の確からしさ、もしくは様々なメディア等の憶測や誤報、政治的発言の攻防渦巻く言語領域の不確からしさとの間で、現実離れしたところに設定されていたイオの確からしさが調整され、あっという間に、現実感覚でフォーカスできる領域が変化してきた。
「私のお財布」。
イオにとって、人生で最も自分のお財布について詳しかった時期は、ちょうど発病前に書籍の編集者としてフリーで働いていて、自分自身の計算で確定申告もしていた数年、日本でもベーシックインカムの導入が期待されはじめていた、20代の後半のことだった。
自分のお財布に、今、1円玉が何枚あるかすら把握していた頃のこと。
1円玉の枚数?
なぜって?
確実に適切に、お釣りとして小銭たちをお財布から出してあげるためである。