🥇残酷な所有物ランキング1位「知識」🥇✨
[一人称複数=我々]が持っているもので、1番残酷なものは「知識」です
※[二人称]様を一人称に括ってしまうジレンマとの戦い中
今、22歳で、それなりに辛い思春期を過ごしてきた。中学生の頃はリストカットもした。コンパスの針で手に文字を掘ったこともあった。
それから10年近く経っても、精神状態は特に変わらず、人生が辛いことにも変わりはない。でも、自傷行為は辞められた。
月並みだけど、今、自傷行為をやめられない人に対して、自傷行為やめられたらいいねと思ってしまう。(ここに潜む暴力性だけは見逃してほしいです)
話を進めるために、自傷行為の善悪の議論は棚上げして、自傷行為は行為者にとって良くないものだと仮定しての、noteです。
なぜ、自傷行為をやってしまう(やってしまっていた)んだろう。
それは、知ってるから。
今でもハッキリと覚えている。中学1年生の時、コンビニでカッターナイフを買った日を。ハッキリと腕を切ることを意識しながら、なけなしのお小遣いで。
きっとインターネットっで、「自分みたいな”病んでる”人間は、リストカットしないといけないんだ」と思ったんだと思う。知りさえしなければ、リストカットに辿り着くことなんてないのに。
今の時代はODもそうかもしれない。(私の時は血餅が流行っていたきがする…)
悲しいことを選択する時(それが本当に「悲しい」ことなのかを、外野が決めるような暴力性は持ちたくないのだが、)ほとんどの場合、背景に知識がある。
自傷行為の方法も、いじめも、自殺のやり方も、恋愛での傷付き方も、家族の傷付け方も、ほとんどの場合、知っているからできるんだろう。
知っているから、ひどいことをされたし、ひどいことされたことも「知ってしまう」。知識は、広く言えば記憶でもある。知識と記憶が、幸せなものばかりだったらいいんだが。
知識なんて、言葉なんてなければ、感覚だけの世界があれば、だれも傷つくことなんてないのにな〜〜と思う。
「知識」という残酷なモノをうっかり持ってしまったのだから、せめて、自覚した上でなにか有益な使い方をしたいものだ。(ここでいう有益は、決して資本を産むことではない。できれば、人に優しくとか、したいもんだわね…)