『天狗裁き』
⭐️⭐️⭐️⭐️
(星の数でこの記事のオススメ度を
5段階で評価しています)
新年4発目
三ヶ日も終わり、
今日から仕事はじめという方も
沢山いらっしゃるのではないだろうか
皆さん、お疲れ様です。
さて、今日は
僕のnote投稿記事の中では2回目、
1つの古典落語の演目について
書いていこうと思う。
ちなみに前回の記事がこちら
↓
↓
↓
今日書いていこうと思っている演目は
タイトルそのまんま
『天狗裁き』
皆さんは
『天狗裁き』という演目を
ご存知だろうか
内容を説明するのが
非常に困難なのだが
簡単に書くと
ある男が家で寝ている。
それを妻が起こす。
「あんた、えらい楽しそうにしてたけど
なんか面白い夢でも見てたん?」
男は夢など見ていないと答えるが
それを妻は
男が何か隠し事をしているのだと疑い、
全く信じない。
口論が夫婦喧嘩に発展するが
それを隣人が止めに入り、
妻をなだめ、
自分の家で一旦落ち着くよう促す。
一件落着かと思いきや
今度は隣人が
「妻に言えない夢やなんて
相当面白い夢やったんやな!
でも、俺には言えるやろ?」
男は夢など見ていないと
再び答える。
口論になり、喧嘩に発展したのを
大家が止めに入る。
今度は大家が
「妻にも隣人にも言えない夢って
どんな夢?」
以下
このような流れが続く
すごく簡単に書いたが
実際に見聞きしないと
あまり伝わらないと思うので
この記事を読んでいる皆さんには
是非何かしらの媒体で
この落語を見ていただきたい。
さて、今回なぜこの記事を
書こうと思ったのか
僕は大学1回生の春に
落語研究会に所属し、
そこからずっと落語をしてきて
今も本当に細々と続けているが、
この約5年間で
演った演目の数は22本
この数は自分で言うのもなんだが
関西の落語研究会の中では
結構多い方だと思う。
上方落語(関西の方の言葉で話す落語)
は300個くらいしかない。
その中には
今ではほとんど誰も
演っていない
不人気の演目も多いので
僕は自分がやりたいなぁと
思うような演目は
全てやり切ったと思っていた。
しかしまだ残っていた。
それが『天狗裁き』だ。
なぜここまで演ってこなかったのか
その理由を少し考えてみた。
(以下、番号を振って
順番に説明していく)
①同期や先輩がやっていた。
これは本当に言い訳にしか
ならないのだが
僕たち落語研究会は
定期的に
ネタ上げというものを行う。
これは新ネタを下ろす作業のことで
(上げるんか下ろすんかどっちやねん)
ネタ上げのシステムはこうだ。
(あくまで僕が所属していた
立命館大学落語研究会のやり方であり
他の大学がどうかは知りません)
まず、演目を決める。
そしてその演目を実際にやっている
プロの映像を見たり
音源を聞く。
それを文字に書き起こし
台本を作って覚える
完全に覚え切ったら
実際に正座をして声を出して
演ってみる、
この様子を5人の部員にマンツーマンで見てもらう。
最後に大部屋で部員全員に見てもらい、
技術部長(部の落語技術を司っている奴)が
OKを出せば
学校外ですることを許される。
そして寄席を行い、
また一から次の寄席に向けてネタ上げをする
というのを繰り返すのだ。
寄席は基本的に学内のメンバーと
一緒に行うため、
同じ演目があってはいけない。
もし同じ2つ以上のネタが
同じ寄席に存在してしまうと
それは
ネタ被り、またはネタがつく
などと言われ
これは御法度とされている。
こんなことはあってはならないのだ。
『天狗裁き』はどの大学であっても
誰か1人は演っているというレベルの
超人気演目であり、
僕らの落研でももちろん取り合いになった。
僕は当時、そこまで
やりたいとは思わなかったため
譲った。
そして結局出来ないまま
今まで来てしまったのだ。
②難しい
これが2つ目の理由である。
単純に難しいのだ。
落語を観る側にも
落語を演る側にも
人気のある演目だし、
僕は今までに
見たくない場合も含め『天狗裁き』を
50回以上は見てきた。
そんな演目ではあるのだが
難しいのだ。
何がそんなに難しいのか
まずキャラクターが多い。
どんどん年齢や性別、身分の違う
新しい登場人物が出てくるので
瞬時に演じ分けないといけない。
そして何よりも
なぜそれぞれがそんなに
夢の内容を聞きたがるのかという
理由に無数の解釈が生じるし
主人公である男が
なぜ頑なに夢の内容を語らないのかも
正直よくわからない。
『天狗裁き』という演目を
見たことがある人はわかると思うのだが
「そこまで聞かれるなら
もう適当に答えれば?」
とさえ思ってしまうのだ。
人は起きた時に覚えていないだけで
寝ている時はほぼ必ず
夢を見ているという
話を聞いたことがある。
つまり、主人公の男も
夢は見ているわけだが
頑なにそれを答えないのである。
まあ普通に覚えていない可能性は
高いのだが
この一連の流れは
お客さんに感じさせてしまうと
邪魔になってしまう
可能性が高いので
なるべく無視したいのだが
鋭い人は気がついてしまうし
厄介だ。
どっちにしろ
これらをお客さんに
どう伝えるかどう見せるかの
塩梅が非常に難しいのだ。
③変える幅がない
落語には大きく分けて
3つの種類がある。
古典落語
新作(創作)落語
改作落語
の3つだ。
(これだけじゃなく
他の分け方もあるよ!)
僕は長い期間、
改作落語に取り組んできた。
改作落語とは
昔からあり、色んな先人たちが
演ってきた古典落語に
自分なりのアレンジを加え
新しい面白さを付け足す
手法である。
現代風にしたり、
設定を真逆にしたり
大袈裟にしたりと
今まで本当にいろんなアレンジを
してきたし、
僕の周りの人たちも
本当に
こんなやり方があったのか!
などと感嘆させられるほど
色んなことをしてきた。
しかし、この
『天狗裁き』という演目
変えようがないのだ
僕の脳みその範囲が
ただただ届かないだけなのかも
しれないが
とりあえず今の段階では
改作のアイディアが全く浮かばない。
つまり、
ほとんどの演目はそうなのであるが
元のストーリーが
完璧すぎて
どう改作しようが
元々の面白さに勝てる気がしないのだ。
他の演目が面白くないと
言っているわけではない。
非の打ち所がないのだ。
そして何よりも厄介なのが
タイトルだ。
これは落語あるあるなのだが
落語のタイトルは
「え、なんでそんなタイトルやねん!
もっと他あるやろ!
それ物語の中でそんなに重要なワードじゃないから!」
みたいな演目が多すぎるのだ。
これもその中の一つ。
『天狗裁き』という
この演目の内容において
「天狗」も「裁く」も
そこまで重要じゃないのだ。
これが改作をする時に
かなり邪魔になる。
これは僕の持論なのだが
改作落語というのは
タイトルは変えずに
そのままで出し、
「あ〜この演目をするのか」
とお客さんには思わせておいて
違う内容をするというのが
醍醐味だと思うのだ。
もし『天狗裁き』というタイトルを
そのまま使うとなれば
必然的に
「天狗」も「裁く」も
入れないといけない。
厳密に言えば別に入れなくても
そこまで誰かに
何か言われるわけではないのだが
改作落語をし、
落語を愛する1人の人間として
何か引っかかるというか
許せないのだ。
この制約がある限り、
正直、改作はしにくい。
以上、
僕が『天狗裁き』をやらない理由というか
ほぼ言い訳に近いものを
つらつらと書いてきたわけだが
正直、僕たち学生落語家や
社会人落語家などを含む
素人落語家は
原則なんの演目を演ってもいいのだ。
そこまで深く考える必要は本来ない。
ここからは、シンプルに
『天狗裁き』の
唯一無二の魅力について
書いていこうと思う。
ここからは結構な
ネタバレを含むので
出来る限り何かしらの媒体で
この演目を見てから
読んで欲しい。
この演目の最大の魅力は
サゲ(落語のオチ)
まあ一言でいってしまうと
夢オチ
ただ、他の夢オチと
一括りにするのも失礼な
他の追随を許さない
一線を画す
そんな夢オチ
というか
今の時代、夢オチなんて
どんな作品でも許されないはずである。
途中までどれだけ
良かったとしても
「あぁ〜夢オチか。」
という感情になってしまい
完全なる興醒めである。
つまり『天狗裁き』は
今の時代において
夢オチを許された
唯一の作品であると言っても
過言ではないのかもしれない。
それほどまでの魅力を持つ
この『天狗裁き』という演目
僕もいつかは演ってみようと
思っている。
その時は逃げず、
堂々と改作をしよう思う。
今後もどんどん楽しく面白い記事書けるよう頑張ります! よければサポートお願いします😊