2019年東京外大日本史400字論述答案例
答案例
1950年代、朝鮮戦争で交戦したアメリカと中華人民共和国は休戦後も対立が続いた。サンフランシスコ平和条約によって独立を果たした日本の吉田茂内閣は台湾と国交を樹立する一方、中国とは国交が断絶した状態となった。1960年代に中ソ対立が表面化すると、ベトナム戦争で苦戦・疲弊していたアメリカは中ソ対立を背景に、米中関係を改善することで、中国を通じて北ベトナムとの和平を狙うとともに、ソ連との対抗に中国を利用しようとし、中国も米中関係改善により、ソ連に対抗しようとした。1970年代、ニクソン米大統領による中国訪問が実現し、その後、米中の国交正常化が実現して米中関係は改善した。日本の田中角栄内閣はニクソン訪中発表を背景に、1972年に日中共同声明を発表して、国交正常化を実現し、その後、福田赳夫内閣が日中平和友好条約を結び、日中関係は改善した。一方、日中共同声明発表時に台湾との国交は断絶したものの、民間レベルでの関係は継続した。(400字)
大学発表の答案例
冷戦下の朝鮮戦争で、韓国を支援するアメリカと、北朝鮮を支援する中国は激しい戦火をまじえ、1953年の停戦後も対立が続いていた。アメリカ・日本は台湾(中華民国)と国交を結び、中国大陸(中華人民共和国)とは国交がないままであり、ベトナム戦争では中国は北ベトナムを後方支援していた。サンフランシスコ講和会議には中国は参加せず、日中戦争の講和条約が日中間で結ばれないままであり、冷戦期にも日中の緊張関係は続いていた。しかし、中ソ対立に危機感をもった中国と、泥沼に陥ったベトナム戦争の終結をめざすアメリカは、互いに関係改善を模索した。1972年にはニクソン大統領が北京を訪問し、中国とアメリカは劇的に接近して、東アジアの冷戦構造は大きく転換した。ついで同年に田中角栄首相が北京を訪問し、日中共同声明によって国交を正常化した。1978年には日中平和友好条約が結ばれ、日中戦争から冷戦へと続いた日中対立が大きく緩和された。(395字)
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