2022年一橋大日本史第1問答案例
答案例①
1鈴木牧之。北越雪譜。2b天明。c寛政。3明徳館。4阿仁銅山。秋田藩士の小田野直武は、平賀源内が鉱山開発の指導で秋田藩に招かれた際、西洋画法の指導を受け、解剖書の『ターヘル=アナトミア』が翻訳され、『解体新書』として刊行された際、表紙絵や解剖図を描くなど活躍した。516世紀、戦国大名が経済力強化のため、積極的な鉱山開発を行った。灰吹法など新たな精錬技術の導入を背景に、石見銀山などで大量に産出された銀は南蛮貿易で生糸などの支払いに利用された。17世紀に入り、統一政権として成立した江戸幕府は貨幣鋳造権を独占して、金貨・銀貨・銭貨を鋳造したため、材料として利用されたほか、朱印船貿易や長崎貿易での輸出品として銀は利用され、採掘量が増加した。17世紀後半以降、金銀の産出量が減少する中で輸出品としての銅が重視され、18世紀後半に入り、秋田藩で藩政改革が展開される中、銅の採掘が重視され、煙毒による被害が増えた。(400字)
答案例②…問5に思いっきりバージョン。
1鈴木牧之。北越雪譜。2b天明。c寛政。3明徳館。4阿仁銅山。秋田藩士の小田野直武は、平賀源内が鉱山開発の指導で秋田藩に招かれた際、西洋画法の指導を受け、『解体新書』が刊行された際、表紙絵や解剖図を描くなど活躍した。516世紀、戦国大名が経済力強化のため、積極的な鉱山開発を行った。灰吹法など新たな精錬技術の導入を背景に、石見銀山などで大量に産出された銀は南蛮貿易で生糸などの支払いに利用された。17世紀に入り、統一政権として成立した江戸幕府は貨幣鋳造権を独占して、金貨・銀貨・銭貨を鋳造したため、材料として利用されたほか、朱印船貿易や長崎貿易での輸出品として銀は利用され、採掘量が増加した。17世紀後半以降、金銀の産出量が減少する中で輸出品としての銅が重視され、18世紀後半に入り、秋田藩で財政再建を目的とした藩政改革が展開される中、阿仁銅山における銅の採掘が重視され、煙毒による被害が増えた。(400字)