2023年筑波大学日本史第4問答案例
答案例①…山川『新日本史』ベース
下線部の都は、「東京衛戌総督」から東京と推定でき、「警察之力不足」や「東京衛戌総督」に関する注の説明から、東京での治安悪化の状況が推定でき、「政府の威厳をして遺憾無きに至らしむるの決心」から、差出人の「太郎」が政府の中心人物であることが伺える。これらの状況から、都下之情勢は日露戦争の講和条約調印に反対する集会が暴動化した日比谷焼打ち事件、作成年は1905年、差出人は当時の首相桂太郎と推定できる。事件後、戦争に協力した国民の要求や世論が無視できない影響力を持つようになり、政府に反発する都市民衆の暴動が1910年代後半まで相次いだ。また、日露戦争の勝利により、独立維持の国家目標が達成されたとする認識から、社会において国家主義への疑問が生まれ、個人主義的な風潮が強まった。事件の影響で桂内閣が退陣した後、立憲政友会を基盤とする西園寺公望内閣と山県閥を基盤とする桂太郎内閣が交互に組閣し、協力し合う状況が続いた。(400字)
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