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空気を読まないサラリーマンの決意

私は空気を読めない。空気を読みたくても、読む方法がわからない。
この性格をなんとかしたくて、いわゆる「スキル本」もたくさん読んだ。
他人の心理を読む方法や、上司や職場の人間と上手に付き合う方法など。
いくら読んでも、全く空気を読むことができない。
この文章は、そんな「空気を読めるようになって、世渡り上手になりたい」
とおもっていた自分と完全に決別するための決意表明のようなものです。

空気を読むことを止めると決めた理由

私は今、「もう空気は読まない」と心がけて生きています。
もちろん、とっさに空気を読んでしまう局面は多々あります。ですが、そのときもすぐにハッと気づいて、意識して空気を読まないように心がけています。
空気を読むことを止めると決めた理由は、生きていて楽しくないからです。今の職場での出世はすでに諦めました。自分に仕事の実力があったとは言えませんが、「空気を読み、じっと我慢をし続けることが前提の出世コース」という現実を、まざまざと見せつけられたことが最大の理由です。
精神的・肉体的ストレスに耐性のある人が出世し、そして出世した人はそれをまた、当然のように部下にも求める。この社会に嫌気が差してきました。
今の会社だけではありません。前の職場も、その前に新卒で入社した会社も同じでした。これは会社の問題ではなく、社会の構造だと思います。
そして、こんな社会はおかしいと思うのです。
「みんなそうだ。社会とは、お金を稼ぐとはそういうものだ。考えが甘い。」という人もいると思います。
私はその生き方を否定するつもりはありません。できる人はその生き方をすればいい。でも私はその生き方を望まない。少なくともその生き方しか選択できない社会はおかしいと思うのです。

「空気を読まない」才能

書店には、いわゆる「空気の読み方」についてのスキル本が溢れています。
これらの本は「空気を読めない人=弱者、空気を読める人=強者」のように扱われているので、私のような「空気読めない人間」が、どうやってこのストレス社会で生き残っていくかという「生存戦略」として捉えられているように思います。
果たして「空気を読めない」というのは短所なのでしょうか。空気が読めないというのは別の視点では、才能があることにはならないのでしょうか。
どんな才能にも長所や短所があるはずです。その才能を押し殺しているようにも思えるのです。では、空気を読めない人にはどんな才能があるのか?
残念ながら、私もまだ明確な答えは出せてません。ですが、私のnoteを通して、今後「空気を読まない才能」について考察し、発信していきたいと思います。

空気を読まなくてもいい社会づくり

何より実現したいのは、「空気を読まなくても許される社会づくり」です。
表現が大袈裟と思われるかもしれませんが、空気を読む行為は、小学生くらいの年齢からすでに始まっています。どうして小学生の女子は、一人じゃトイレに行けないのか?行けないのではなく、「空気を読んで」行かないんだと思います。
お昼ご飯食べるだけでも空気の読み合いです。どうして、周りが「ラーメン食べたい」と言っている中で、自分だけ「牛丼食べたい」と言ったら「空気読め」と言われなきゃいけないのか?私だけ牛丼食べて、その後合流したっていいじゃないか。どうして、団体行動しないといけない空気にさせるのか?いちいち面倒だと思いませんか?生きづらい。だから一人になりたくなる。
でもこれはきっと、空気が読めない人が悪いんじゃないと思うんです。
今の「世の中の常識」が空気を作っているだけだと思うんです。
だからきっと、いつかは変わっていくと思うんですが、私はそんなに待ちたくないんです。だから、たくさん発信して広めたい。空気を読めるようになる小手先のテクニックを学んで、気を使いながら生きていくのではなく、堂々と思ったことを言える「空気を読まない」人生を歩める社会づくりに踏み出したい。
どうして「社会」という大枠で語るのかというと、社会の方が変わってくれないと、私が変わらないといけなくなるからです。私はわたしのままでいたい。価値観を変えられたくないのです。これもまた、ひとつの多様性なのかもしれません。
どうやって実現するかは、これから考えるのですが、共感していただける方にこの思いが届けば嬉しいです。ではまた。

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