見出し画像

あなたの「わがまま」は「社会問題」化できる

あなたが、社会に対して抱いている不満は何ですか?
私のように会社勤めをしている人にとっては、社会=会社の
イメージに近いかもしれません。
日本の会社は一部の例外を除き、どこも似たような
規則やルールのもとに動いていると思います。

  • 朝9時まで出社し、17時過ぎまで働く

  • お昼休みは12時から13時まで

  • 休日は土日祝、または有給休暇を申請して休む

これらの「社会の当たり前」は当たり前すぎて、これに異を唱える人の声はほとんど聞こえてこず、聞こえたとしても、時としてそれは「わがまま」ににしか聞こえません。
例えば、毎日当たり前に行っている「一日8時間労働」に対して、仮に友達や家族、会社の同僚が「一日8時間も労働するなんて長すぎる、5~6時間くらいがちょうどいいと思う」と発言したら、どう思いますか?
「大賛成」という人もいるでしょうが、「わがままを言うな」という人も結構いると思います。でも、それのどこがわがままなのか説明できる人はいるのでしょうか?
「みんな我慢してるんだから」「定時で帰宅できるならまだ恵まれている」という反論でしょうか?
それでは論理的な説明になっていない気もします。
「昔からみんなそうしてるんだから、わがままいうな」という論調です。

もはや当たり前となった「一日8時間労働」の習慣ですが、どんな「当たり前」にも「始まり」があったはずです。たとえば「一日8時間労働」の始まりは、1817年にイギリスの実業家であるロバート・オーウェンという人物が、「仕事に8時間を、休息に8時間を、やりたいことに8時間を」と提唱し、当時のイギリスの平均労働時間10~16時間に強く抗議したことが起源といわれています。
この声がヨーロッパ全体へ広がっていき、いまや全世界で「当たり前」となっています。今議論になっている「週休3日制」もその過程にあるのかもしれません。
今「わがまま」といわれるだけで、数十年後には「当たり前」になっている、と想像したらどう感じますか?
嬉しいような、でもなんかちょっと悔しくないですか?自分たちが現役で働いているうちに成し遂げたくないですか?

荻上チキさんの著書「社会問題のつくり方」という本には、以下のような
表現があります。

誰かが「わがまま」を「これは社会問題だ」と訴えて世の中に議論を巻き起こして、社会の空気が少しずつ変わり、その空気を無視できなくなった「ルールを決める人」が増えることで、新しい当たり前がつくられてきた。
今ある「当たり前」は、誰かがつくってきたことだったんだ。
いいことも、悪いことも。
じゃあ今、自分が感じている違和感や不公正感も、単なるわがままではないのかもしれない。もしかしたら、「社会問題」だといえるのかもしれない。
社会問題!
ただの、自分の問題ではなく。
社会そのものが抱える、未解決の問題!

社会問題のつくり方 

「個人が抱える問題」は「自己解決すべき問題」ではなく、社会全体で解決すべき問題」化できる可能性があります。

今の世の中、「自己責任」という言葉が溢れかえっています。そして「世の中は変えられない」という「無力感」も充満しています。無力感と自己責任に囚われた人々が、世の中を変えようとする人たちを、単なる目立ちたがり屋や、自分の利益のために活動しているだけだと冷笑していることを「シニシズム」というそうです。

荻上チキさんの著書「社会問題のつくり方」には社会問題の解決方法のヒントがとても分かりやすく載っています。
ご興味持たれた方はぜひ手に取ってみてください。

「無力から微力へ」。

まずは「シニシズム」から脱却しませんか?


いいなと思ったら応援しよう!