「PUI PUI モルカー」に見るアニメーションの原点回帰
「PUI PUI モルカー」が人気だ。2021年1月から毎週火曜、テレビ東京系で放送が始まったモルカーはおそらく子供向けのアニメとして制作されたのだろうが、今や子供のみならずアニメオタクはもとより大人にも人気を博している。SNS上ではモルカーのイラストが溢れ、まさか制作側もこんなに人気になると思っていなかったのであろう、グッズのラインナップがその人気に追い付いていない状況なのも微笑ましい。もちろん僕も毎週モルカーを楽しみにしている一人だ。
興味深いのがこのモルカーが、国内外のアニメーションにおいて今やデジタル制作が主流となり、ディズニーをはじめとしてフルCG作品が世の中にあふれるこの状況で、実物の人形をひとコマひとコマ撮影して繋げていく昔ながらの「ストップモーションアニメ」であるということだ。
昔ながら、のとおりストップモーションアニメは20世紀の初頭に始まったとされ、以降映画内の特殊技術に使われ、アニメーション作品としても制作されるようになった。そして別に決められたルールがあるわけではないのだがストップモーションアニメ作品に「セリフなし」作品が多い傾向にある。20世紀前半のアニメーション作品はセリフなしのものが普通だった。ディズニーのミッキーマウスが初めて登場したアニメ作品「蒸気船ウィリー」もセリフがない。「セリフなし」なのはこのモルカーも同様だ。
「アニメにはセリフが無くてもいいんですよ」と言ったのは「漫画の神様」と呼ばれる手塚治虫だ。漫画内に遠近法を使って映画の手法を取り入れて漫画表現に革命を起こした手塚は日本漫画界におけるエポックメーキングであり、そしてその手塚はまた日本アニメ界における革命児でもあった。
それまで1本の作品として映画館で上映されることが普通だったアニメを、当時まだ高級家電でありながらも徐々に家庭に普及し始めていたテレビで毎週放送するという挑戦に挑み、成功させた。そこで現在までに至るテレビアニメ制作の手法を編み出した手塚は日本アニメ界の神様であるともいえる。
手塚治虫は遺作となるアニメーション作品「森の伝説」についてメディアのインタビューで、この作品について話をするにあたりディズニー1940年公開のアニメーション作品「ファンタジア」の名前を出している。「ファンタジア」はクラシック音楽のオーケストラをふんだんに使ったアニメで、この点において「森の伝説」も同様である。(ちなみに「ファンタジア」はスタジオジブリの宮崎駿も影響を受けたアニメ作品に挙げている。) 手塚はこの「ファンタジア」を引き合いに出して「アニメにはセリフが無くてもいいんですよ」と語っている。
自分の話になって恐縮だが、僕はいわゆる「深夜アニメ」というものをさっぱり楽しむことができない。理由の一つは「"萌え"ないと楽しめない」こと。「深夜アニメ」の中でも特に「美少女アニメ」に多いのだが、まずキャラに"萌え"ることが作品を楽しむための前提としてあり、"萌え"をイマイチ理解できない自分にとって作品の面白さを享受することができない。もうひとつは「セリフで喋るだけのシーンが多い」点だ。もともとアニメは子供向けに作られるのが普通で、セリフだけでは子供たちは飽きてしまう。別の言い方をすると登場キャラクターの会話のやり取りがわからなくてもキャラの「動き」や「表情」で、なんとなく内容がわかるものに、楽しめるものにしなくてはならないということだ。「アンパンマン」がなぜ子供に人気か。話の内容が理解できなくてもキャラの「動き」や「表情」を見て楽しむことができるからだ。ガンダムも意味もなく毎回戦闘シーンが挟んだりするのだが、それは視聴者のメインである子供を飽きさせないためである。深夜アニメは動きが無く「会話のやりとり」に終始する作品が少なくないので、結局楽しむことができない。自分がアニメの楽しみ方が子供時代から変わっていないとも言えるのだが(汗)(笑)
話を戻すと「蒸気船ウィリー」も「ファンタジア」もセリフが無い。無いのだが、この作品を観た人は分かると思うがどちらもセリフなしでじゅうぶんに楽しめる。「森の伝説」はセリフのあるシーンもあるが劇中はバックに流れるオーケストラがほとんどだ。つまり手塚の言う通り「アニメにはセリフが無くてもいい」のである。
モルカーもセリフがほとんどない。ときおりモルカーたちが「PUI PUI」と鳴くだけである。「PUI PUI」と鳴くだけであるにも関わらず子供から大人までモルカーを楽しむことができるのは、セリフが無くても楽しめる作品になっているからだ。もちろん内容が面白くないといけないのだが、そこは本作の監督である見里朝希氏の手腕。見事に「面白い作品」になっている。
見里監督がセリフ無しのアニメーションについてどう思っているのか、手塚の言葉を知っているのかはわからないが、このフルCG全盛の2021年に昔ながらのストップモーションアニメ制作であるという点、そしてセリフ無しで作品を楽しめるという点に僕はモルカーにアニメの原点回帰を見出したとともに、結局はどんなに金をかけようが最先端技術を駆使しようが、内容が面白くなければ見ない、逆に言えば低予算でも古臭い技術であっても内容が面白ければ見てくれるというところに、アニメというものが持つ面白さとその神髄を再確認したのである。
深夜アニメを楽しめる体質ではない僕のような人間や、スタジオジブリ作品のようにメッセージを込めたり、エヴァンゲリオン以降の衒学的(げんがくてき)な作品づくり、言っちゃ悪いが涙を誘うことを前提とする感動ポルノのような作品の横行に疲れてしまった人たちや辟易してしまった人たちにとって、モルカーは何も考えなくても楽しむことのできる、疲れた脳ミソにやさしく、乾いた喉を潤してくれるある種の「心のオアシス」であり、久々に僕に心からアニメというものを楽しませてくれた貴重な存在なのだ。
見里監督にはぜひとも、これまで僕がつらづらと述べてきたことを意識することなく、今までどおりのモルカーづくりに励んでほしい。それを続けていくことで、僕のような人たちがこれからもモルカーという作品を享受し続けられることになるのだから。
見里監督とモルカーにこれからも期待します。