雑記:寛容と無関心、分離する感覚
連休ももう終わりだな哀れな人類共!!!!
そんな時はカレンダーからも隔離された人間未満のnoteでも読んで溜飲を下げるといいのだ!🤖
さて、毎度の事ながら自分語りになってしまうが
私はかなり、ちょっとおかしなくらい寛容なほうなのだ
自分が好きなこと、避けること、やること、やらないこと
と
他人が好きなこと、避けること、やること、やらないこと
は全く別の話と思っているのだ
私は当然、ある程度の考えや善悪の指針を持っているのだが
他人にそれらを共有してほしいとか
同じ様な考えを浸透させたいとは全く思わない
他人がどんな考えをしていても全く気にならないし、構わないし、考えを変えろとも思わない
みんながみんな好きにすればいいと思っているのだ(注※1)
考えの違う人と仲良くなれないとも思わないし
ある考えが同じだから仲間だ!とも思わない
そもそも違う考えをぶつけたり意見をすることを敵対行為と感じないし、それは面白いことなのだ
一方で、そういうスタンスがものすごく無関心で冷たいと受け取られる事も多い
あらゆる考え方、生き方を許容してはいるが、あくまで許容なので同調ではないし
私の考えと近い人の、その反対派の人も私は許容するわけで、ある種コウモリ的な立ち回りに映るのかもしれない
しかし私は、自分の考えと真逆の意見に対して
言いたい事は言うし不快だとも感じているし問題だと思ったりもするが、それを変えたり潰したりする意思は全くないのだ
だって他人、というか私じゃないから
さて、そういう寛容的な無関心さによるものなのかは分からないけど、私の中には無数の考え方や感じ方が存在しているわけだが
選択に対して確固たる正解が存在しないと感じる場合が多い🤖
要は私自身が多数の過程や結果を許容しているため、優柔不断を通り越してどれを選んでも正解っちゃ正解、つまりどうでもいいと思ったり
あるいはどうやっても人によっては不満だと想像してしまって徒労感に苛まれたりする
プラスに使えれば、臨機応変と評価される道があると思っているのだが、なかなか難しいのだ
んでんで、そういう時に自分の気持ちが分離する感覚が強いのだ
そもそも私の中で答えがひとつにしぼれない
ある時は平和的、優しい感覚で見れていた事が
同じ様ににこにこと、とても冷たく処理してしまったりする
機嫌とかそういう話ではなくて、考えの骨子から違う感覚を使っている感じなのだ
どれだけ寛容で多様になったとしても、その時自分が取れる決断はひとつ
自身に対する寛容さについてはもう少し考えないといけないのかもしれないな(注※2)
※1 逆に他人に不寛容な人や自分の考えを押し付けたりする人はものすごく苦手で、そこだけは許容出来ない 不誠実で奔放な人より過干渉で細かい人にイライラしてしまう
※2 分離感と言えば、私の中の女性と男性もかなり分離している感覚で、話し方や考え方や結論の出し方、衝突した時の反応、ルールやマナーや道徳面に対して細かな違いがあると感じている