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2024/9/10 名前を呼ばれること

・通りかかった公園から幼稚園の運動会練習らしき声が聞こえた。
先生のかける号令、「のーばーす!」「おーじーぎ!」などのイントネーションが「カネゴン」や「カーペット」と同じだった。
小学生男子が「やめろ」「おれの」などをこれと同じイントネーションで発音するのが結構好きなのが、幼稚園教育の賜物だったりするんだろうか。

中間管理録トネガワを読了。泣いてしまった。まさか泣いてしまうとは思わなかった。
最初はカイジ本編の裏話でしかないという印象だったが、部下の黒服たちが起こす問題と会長の理不尽さに挟まれながらも優秀さで切り抜けたり、時には嘆いたりする利根川にいつの間にか感情移入してしまった。カイジ本編が悲しくなってしまうほどに。

・さて、タイトルの話。
自分は人とコミュニケーションを取る上でされると特に嬉しいことがある。それが名前を呼ばれることだ。
理由はシンプルに1つだけ。覚えてもらえていることが実感できるから
自分が人の名前をすぐに覚えるのが苦手なこともあってか、「人に名前を覚えてもらっている」という小さな事実がたまらなく嬉しい。
恩返しのために自分の名前を覚えてくれる人の名前は何を差し置いても覚えるようにしている。
知り合ったばかりなどの関係性が薄い人と話す時は自分の名前を無理矢理でも会話に入れ込むこともする。これが自分の名前です!覚えてください!と思いながら。

ドラマなどのセリフでも同じことを思っている。人と再会した時に「お前は…!」で終わるよりも、「お前は…〇〇!」まで名前を呼ぶセリフの方が好き。ちゃんと覚えていることが分かるので、こちらまで嬉しくなってしまう。
前者は仮面ライダーファイズ(というか井上敏樹脚本)で頻発する印象。後者でパッと思いつく具体例は少ないが、仮面ライダービルドの番外編、7つのベストマッチの「バイカイザー…!」みたいな。

というそれだけの話だが、ずっとしたかった。
タイミングを掴めなかったが、先ほど書いた「中間管理録トネガワ」を読んだことが良いきっかけになった。
トネガワには、見た目に個性がなく名前がややこしい黒服の部下がメインキャラとして登場する。利根川はそんな部下たちの名前を覚えるのに苦労する、というのが1話目の内容だ。

利根川はその日には覚えられずパンクしてしまうものの、翌日には全員の名前を覚える。以後どのエピソードでもしっかりと黒服を個人で区別して名前を呼んで接する。

凄い。自分がこれをされたら真っ先に利根川を信用してしまうだろう。こういうところが利根川が慕われる要因の一つであることは間違いないと思う。
利根川が率先して名前を呼び区別をつけることで読者も黒服の見分けがつくようになり、キャラを理解して楽しむことができる。

というわけで、名前呼びについて(あとトネガワについて)の話でした。
自分が嬉しくなるように、利根川が部下の信頼を勝ち得たように、名前を呼ぶ行為は信頼に繋がると思う。

いったんおわりで、以下トネガワ終盤の感想(ネタバレあり)です。







自分は人と人が仲良くしている描写が好きなので、利根川が部下に慕われ頼られ、チームの雰囲気が良くなっていくのを見るのが嬉しかった。
だから、最終回(=利根川の失脚)が近いことを嫌でも感じさせる終盤は読んでいて悲しかった。
まさやんの解放、山崎の「この先………何があっても……!」の引き、T-AIくんの占いなど…。

特に悲しさを更に際立たせるのは最終回1話前の「熊手」だった。最高に雰囲気の良い利根川チームの様子と最後の晩餐、チームが大きくなることを願い買った小さな熊手。これで緩んだ涙腺を決壊させるような「しかし……その熊手がこれ以上大きくなることは……」と言う終わり方。
切なくて胸が苦しくて泣いてしまった。

そして、やるせない終わり方まで覚悟した最終回。ここでもまた泣いた。でも悲しい涙ではなく、感動の涙だった。
物語を締めくくる山崎の言葉はとてつもなく心に響いた。「人は死ぬまで途中」。座右の銘にしたいくらい。どれだけバッドエンドに見えても、それは途中経過。まだまだこれから。利根川の再起を示唆する終わり方に感動した。
良い漫画だった。スピンオフまで面白いカイジシリーズは凄いよ、本当に。

おわり

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