vol.9:”マイノリティ“ なんてくそくらえ
障害者家族コラムニストの川島田ユミヲです。今週も始まりましたね。そして、FUJI ROCK FESTIVAL '21が終わりましたね。私がいま働いている職場には毎年 “ フジロック休暇 ” なるものがありまして。オーナー夫妻が3日間フルでフジ参戦のため、その期間は仕事がお休みになるのです。束の間の夏休みの隙間で、YouTube配信を楽しみました。出演した音楽家の皆さまのパフォーマンスは、本当に素晴らしくて時折涙を流しました。
あとは2週間、参加した関係者さま、オーディエンスの皆さまが何事もなく過ごせる事を願うばかりです。
フジロック開催に関する賛否や是非は多々ありますが、表題の話とはまた違うお話になると思うので、私の気持ちはまた別の機会にでも。端的言うならば “ 賛 ” であり “ 是 ” です。あとTwitterのフォロワーさまが「配信ライブも有料にするべき。アーカイブも残して」と言っていたのですが、これは私も大賛成です。
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では、本題に。
↑前回のコラムで私はこんな事を書きました。
Q:悲しい事件がある度に、障害者差別がなくなればいいのに、と思いますA:悲しい事件はもちろんなくなればいいと思っていますが、障害者差別はなかなかなくならないですよね。これに関しては “障害者” と “健常者” で、同じ人間なのに分け隔てている社会の構造に問題があるというか、制度を変えることはなかなか難しいので、我々障害者家族や当事者の歩み寄りが必要だと思っています。
からの延長で、今日は障害者差別から少し幅を広げた問題を書こうと思います。
・社会的少数者という名の “マイノリティ”
「マイノリティ( 社会的少数者 )」という言葉、世界に目を向けたら人種や民族、宗教などの差別も含まれますが、日本におけるマイノリティという言葉は、LGBTQにおける話題で「性的マイノリティ」という表現を目にする&耳にする事がよくありがちです。それ以外にも、
・自閉症・アスペルガー症候群・学習障害(LD)・注意欠陥多動性障害(ADHD)などの “ 発達障害 ”
・うつ病・統合失調症・双極性障害・薬物依存症・てんかん・高次脳機能障害などの “精神障害”
・外国にルーツを持つ子どもや外国人労働者に対する “ 偏見・偏向 ”
・単親世帯(一人親家庭)やホームレスなどの “ 貧困問題 ”
以上の事が「マイノリティ」として類されています。
しかし、私はこの分類に異を唱えたい。
今の世の中、LGBTQも発達障害も精神障害も、ぜんぜんマイノリティなんかじゃない。外国にルーツを持つ人だって出稼ぎに来ている労働者だって、貧困の問題だって、今に始まった事でない。日本全国にそういう人たち、たくさんいるじゃん。“ 社会的少数者 ” ではなくて “ たまたまあなたの(私の)コミュニティ内にいない ” というだけ。
それらに該当する人たちが社会的少数者かどうかよりも、そういう人が自分の身近に “ いる ” という事実を知るのが大事なのだ。そして自分自身も、いつ病気で倒れて、今まで通りに体を動かせなくなる日が来るともわからない。
もしかしたら当事者の人は、今まで他人との違いに怯えたり心が折れたりして “ マイノリティ ” だとわかって精神的に楽になった人もいると思う。それはとても良い事だと思う。ただ、これは知的障害者の人にもその家族にもたまーにいるんだけど、どうかあぐらをかかないでほしい。一概には言えないけれど “ 障害があるから ” “ マイノリティだから ” とイキらず、どうか周りを見渡して欲しい。誰かの話を聞いたり自分の話をしたりして、歩み寄る事を試みて欲しい。歩み寄り方がわからなければ、かかりつけ医やカウンセラーにどんどん自分の話をしてほしい。
・いじめ問題における “マイノリティ”
障害・差別・貧困というフィルターを通さずとも、誰しも残念ながら触れてきたり、通ってきてしまった問題がある。「いじめ問題」だ。
①“ マジョリティ(大多数) ” からはみ出してしまった、もしくは意図せずはじき出されて “ マイノリティ(いじめの対象) ” になった事がある人。
②もしくは “ マイノリティ” をはじき出したものの、いつの間にか立場が逆転して自分が “ マイノリティ” になっていた人。
③自分はどちらにもなるまい、と、遠巻きに静観していた人。
ほとんどの人が①~③のどれかに当てはまるのではないだろうか。かくいう私は①であり③であり、②になった人の事も見てきた。
人間は「みんな違って、みんないい」と言うわりに、人と違う事を怖がる。同じ色に染めようとする。馴染めないと「ダメだ」と決めつけられる。それが「いじめ」へと発展してしまう。みんな誰かを “ マイノリティ ” に仕立ててしまうのだ。
だからみんな「コブラ会」を観ればいいと思うの(急にどうした)
先述した「いじめ問題」の①~③まで「コブラ会」はぜんぶ出てきます。
“ マイノリティ ”が行動を起こす事によってその分母は増えていき、様々な状況や環境は変われる。そうしていつしか “ マジョリティ ”にはなれるだろう。ただ、これによって新たな “ マイノリティ ”を生み出してしまう。良くない。全く以てよろしくない。いたちごっこである。しかし残念ながら歴史の中でそれは繰り返されてしまっているので、自分がどちらかに偏り過ぎてはいないか、と気付く事が大事なのである。私は「コブラ会」を観て、この事に気づいた。
私は「ベスト・キッド」シリーズを1本も観た事がないけど、観た事がなくても楽しめます。空手がわからなくても、アクション映画をそんなに観ない人でも、楽しめます。派手なアクション以上に、人間の成長や逸脱のドラマがあるからだ。
※YouTubeプレミアムを契約している人は、シーズン2まで観られます。Netflixも2週間お試し無料期間とかあるから、その間にイッキ見するのもアリだと思おう。あ、英語のヒアリング得意な人はそのままでいいけど、↑の予告編は日本語字幕をONに設定してご覧いただくのをお勧めいたします。
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・おわりに
元々今回のコラムのタイトルは「マイノリティはなくならない」にする予定でした。これは私の思い違いで“ minority ”というのがただ「少ないこと」「少数派」という意味なのかと思っていたからです。だって “ 数 ” という概念がなくならない限り、マイノリティもマジョリティもなくなる事はない。
しかしこの「マイノリティ」という言葉、どこを調べてもちゃんと “ 社会的に少数であり弱者 ” って書いてあるのね。誰だ、こんな言葉作ったやつ。横文字にしたところでカッコよくなるとでも?
「障害者→障碍者→障がい者」もそうだし、「障害者用トイレ→多目的トイレ→バリアフリートイレ」もそう。
表記とか名称を変えたところで、って話なのよ。側だけ修復しても中身がボロボロのままだったらまた同じことを繰り返すのよ。本質の問題を考えよう。
なんだかまとまりがなくなってしまいました。たまにはいいか。
最後までお読み頂きありがとうございました。
ハードルがあるのは障害者だけじゃない。「私たちは健常者だから」と言うそこのあなただって、職場や家族間での対人関係だったり病気したり大変な事(ハードル)が沢山あるでしょ?という意味で、エッセイのタイトルは「世の中全員、障害者。」と言います。おススメ&サポートして頂けたら嬉しいです。