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憧れのひとり暮らし

社会人1年目の10月にひとり暮らしデビューした。もう3年になりそう。

ひとり暮らしに明確に憧れたのは大学1年生のとき。上京してきた同級生のひとり暮らしのお家で遊ぶようになってからだ。めちゃくちゃ狭くて散らかっているけど居心地のいい部屋だったり、自分の好きな本・家具に囲まれている部屋、、、人となりが伝わってきて自分だったらどんなインテリアにするのかな〜とよく妄想を膨らませた。

東京に一軒家だと実家を出る理由がない。ひとり暮らしをしたいというと贅沢だと言われる。でも、私の実家はとてつもなく居心地が悪かった。なぜならば、パーソナルスペースが皆無なのだ。自分の部屋がなく、更衣室もオープンだった。学生時代の勉強は、家族が出入りする部屋の片隅でしていた。
 唯一、湯船の中は唯一の自分だけの至福の時間で、指先がしわくちゃになるまで浸っていることもしばしばあった。

ひとり暮らしを始めた当時、働いていた会社は渋谷にあり、2駅圏内なら家賃補助が支給された。周辺で新社会人が住めるような家賃でとなると三軒茶屋と駒場東大前に自然と絞られ、三軒茶屋を選んだ。

初めてのひとり暮らしは、段ボール5箱ぐらいの荷物から始まった。最初は地べたに座り、水彩画に使用する画版を机がわりにしてご飯を食べた。その様子が、ひとり暮らししたての自分に酔えて楽しかった。家具は半年くらい揃わなかったけど、月に一度生花は生け、Wood Wickのキャンドルは毎日焚いた。
 初めてひとりの部屋で迎えた週末。どんなに嬉しかったか、鮮明に覚えている。人の気配がない、自分のスペースが守られている、ここは私にとっての安全基地だ。そう思えた時に、涙が溢れた。三角地帯を探索したかったけど家の中を充実させることに精を出していた。ひとり暮らしのシミュレーションを何度もしていたから、生活につまづくことは比較的少なかったように思う。

できることが増えた。観葉植物を枯らさずに育てることができた。料理が意外にもできるようになった、せいろで蒸し物ができるようになった。片付けもある程度はできるようになった。事務手続きが圧倒的にできなかったけど、苦手意識は少し薄れた。両親が見たら悲しみそうな題材の本も買えるようになった。知らない道を通って行ったことのないカフェでカフェラテを飲んだ。近所にお気に入りのカフェもできた。1人でバーに行ってバーの人たちとおしゃべりした。たくさん友達も会社の同僚も遊びに来てくれた。
 さらに、自分のことがわかるようになった。睡眠サイクル、体調不良の原因がわかるようになり、コントロールできるようになった。洗濯の好みの洗剤の量も決まってきた。包丁を柄まで洗う生活のこだわりができた。高校時代は夜ご飯の残りを弁当に詰めていたけど、二日同じは食事は受け付けなくなった。集団生活はどこまで自分がコントロールしてるいのか、何がトリガーとなり行動しているか適切に理解できなくなる。
 例えば、よく外に遊びに出かけていたけど今では家で過ごす方が落ち着く。それは家が窮屈でたまらなかったから外で時間を潰していただけで、タイプ的にはインドアなのだと思う。さらに、1人で過ごす中で、イン/アウトドア両方バランスよく欲しい欲張りなことにも気づいた。

 もちろん、ひとり暮らしで苦労したこともあった。平日は役所に行けなかったり、体調不良の中で相性の合う病院を探すのには苦戦した。かなり辛かったのは坂道と重い荷物。そして、身を守るために夜道・洗濯物諸々を用心するのはとてもストレスだった。オートロックで締め出されて順番に部屋番号打ち込んで迷惑かけた日、寝る前に喧嘩をして目を腫らしながら朝方まで電話をした次の日には、同じ天井を見たくないとベッドの位置を変えた。とてつもなく残業した月は、花が枯れたことに気づかなかった。三軒茶屋と中野は大して変わらない風景だった、バス社会は乗り物酔いの自分にとってなれない習慣だった。

欲望のままに過ごした3年は、すべてひっくるめて愛おしい時間だった。自分の生活において大事なこと。花を愛でたり、鮮度が高まる経験を意識的にすること。自分の感情・時間と真摯に向き合うこと。もっと自分を理解し、磨いていきたい。



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