2/7「人物像と弱点に迫る」

※投稿8日にずれ込んでしまいすいません!!!!

日々冷え込んできていますが、砂塚あきらのプロデューサーの皆様も、「まだ」(←ここ重要)そうでない皆様もいかがお過ごしでしょうか。昨今はインフルエンザなども流行っているご時世ですので、皆様何卒体にはお気をつけてお過ごしいただけると私が喜びます。

…え?オメーはどうなんだって?病院に行く事を決意するくらいにはアレな感じです。はい。人のこと言えませんね。

今回は、砂塚あきらがそもそもどういった人格を持っているのか、どういう人物なのかについて私見を述べていきたいと思います。

まず一つ前提としてあるのが、砂塚あきらは、優しい人であると言う事です。言うまでもありません。

ですが、それだけで話を終えてしまうには、余りにも勿体無い。というわけで、その優しさがどこから来たのか、何に由来するのか。それについてまず考えていきましょう。

彼女の人格が何に由来するのかについて深堀していく前に、まずは彼女の家族について軽くおさらいしておきましょう。

なんで家族なのか。まあ答えに関しては単純で、これまた家庭科の授業の復習にもなりませんが、人の人格形成の過程において家族の存在と言うのは非常に重要だからなんですね。

んじゃあ、砂塚家はどんな家庭なのか。それについて軽く触れていきましょう。

デレステのセリフの中で存在が明言されているのは、
・砂塚あきら(本人)
・砂塚あきらの母
・砂塚あきらの兄

この三人です。父親の存在については私の知る限りでは触れられていませんが、いずれにせよ父親がいないと言うのは考えにくいので、ここでは居るものとします。

砂塚家の家族構成については本筋と離れるので深くは触れませんが、いずれにせよ、例えば馬鹿でかい豪邸に住んでるとか高級車を乗り回してるとかそういうことはないにせよ、ごくごく普通ながら、とても暖かい家庭だったのかなと私は思います。詳しくは後述しますが、そうでなければああいう子に育たないのではないのかなと思います。

ライフ・オンラインの記事で、「砂塚あきらは生まれ育った新潟の地を愛しているのではないか(要約)」と考えていましたが、多分それも、家族関係が良好であったと言うのが理由の一つである事は容易に想像することが出来ます。最も、事実と確定したわけではありませんが。

さて、その温かい家庭で生まれ育った砂塚あきらさんは、適度にやんちゃ(中学生で生配信って結構勇気ありますよね)しつつも無事、良い子の範疇に収まる範囲内で成長することになります。

さて、ここまでが前置き。取り敢えずは、
・砂塚家は平凡ながらも温かい家庭(なはず)
・そこで生まれ育ったあきらも、また穏やかな性格に育つことになった

と言う事だけ把握していただければ幸いです。

さてそうして15歳を迎え、アイドル活動と言う未知の領域に飛び込んだ砂塚あきらさんは、様々な人との出会いを経て成長していくわけですが、その過程については他の方が語ってくださっているので一旦飛ばします。

そして今、彼女はどういう人なのか。これについて考えていきます。

さて、今日の砂塚あきらには、一種の「包容力」と言うべき物が備わっております。より分かりやすく言うと、人間として懐が広くなり、余裕が出来たと言う事ですね。いや、余裕については少し訂正が必要です。元より心に余裕があった人が、さらに余裕を持つことになったと言った方が宜しいかと思います。

勿論、この変化については突然生じたものではありません。数々の出番や活躍を経て、少しずつ変化していった…と、私は考えています。

んで、実際どういう事なんだと考える方も多いかと思いますので、この話につきまして、砂塚あきらの登場するコミュを一つ紹介したいと思います。

昨年、白雪千夜さんのソロ曲「Clock Hands」が実装され、(遅ればせながら、本当におめでとうございます)それに伴いストーリーコミュが実装された訳ですが、それに砂塚あきらが登場しているんですね。

私はコミュを初めて見る楽しみを奪ってしまいたくはないので(気になる人は自分で読んで欲しいです。今ならストーリーコミュ読む難易度下がってるので。)、ここではあきらの登場する場面の内容を簡単に紹介するに留めておきますが、千夜さんが電車の中で寝ている間に乗り過ごして、そこで降りた所に、近くで撮影をしていたあきらが偶然遭遇するんですね。

正直どう説明しようか迷うんですが、極限までネタバレを避けて説明すると、他愛のない会話を楽しんで解散した、とだけ書いておきます。

ただ、この他愛のない会話の中身が本当に良くて、何と言うか、深堀りしすぎなければ突き放しもしない、遠すぎもしないが近すぎもしない、そういう距離感がまた良くてですね。さっき正に言った通り、15歳の少女らしからぬ包容力、心の余裕を感じる訳なんです。

そして、じゃあその砂塚あきらの包容力とやらがどこから来たのか、何に由来するんじゃ、と言う話については、彼女がコミュで語っている通り、砂塚あきらは「自分らしさを大切に」と言う教育方針の下で生まれ育った訳でして、彼女にとって、自分の自分らしさを尊重することと他人の自分らしさを尊重することの両方に重きを置いている…と言う事で一先ずは説明がつくと思うのですが、もう一つの「心の余裕」については何がどうやってそうなったのかについては、生育環境だけでは説明しきれない部分があると考えます。

そしてそれを知るためには、また別のコミュやセリフを読み解いていく必要があります。

砂塚あきらは、度々「勝ち負けには拘らない」と言う事をPの前で言っています。彼女の考えによれば、「勝ち負けに拘り過ぎれば、本来楽しめるものも楽しめなくなってしまう。だから勝ち負けには拘らない」(超意訳)と言う事ですが、個人的にはそういった考えが、彼女独特の、精神的余裕を感じさせる言動、行動の数々に繋がっているのではないでしょうか。(無論、これだけではなく、本人の元より生まれ持った気質によるところも大きいと思います。)

まあ、そんな「勝ち負けには拘らない」などと言っておきながら、格ゲーにおいてはランカー級の実力を持っている訳なんですが、これについては、ある意味そういう「勝ち負けには拘らない、楽しめればOK」と言うマインド自体が一種のバフとなっているのではないかなと思います。

何せ対人ゲームにおいて重要視されることの一つとして、精神的余裕、冷静さを失わない事が挙げられるくらいですから、「勝ち負けには拘らない。それに執着しすぎて楽しめなきゃ意味ない」と言う砂塚あきらのスタンスが、その精神的余裕や冷静さを保つ上でこの上なく有効であることは火を見るよりも明らかだと思います。このあたりの話は、対人ゲームを実際にやりこんでいる方ならばより理解していただけるかと思います。
理由は何にせよ、こういうゲームでブチギレて血眼になっている時は大抵何もかも上手くいかないものなのですから、そうなってしまう時間が限りなくゼロに近い砂塚あきらがゲームに強いと言うのは、ある意味当然の事なのです。

長々と語ってしまいましたが、次に行きましょう。

さて先程紹介した(千夜の)ストーリーコミュを読んでいただいた方ならば肌感覚として理解してもらえるかと思いますが、初期立ち絵の如何にも陰キャって感じの見た目からは到底想像不可能ではありますが、砂塚あきらと言う人は、陽キャか陰キャかで言ったら陽キャ側に位置する人なんですよね。

それもただ、陽キャ、陰キャと言う表面的な所ではなくて、人間として自然と陽性にある、そういう所もあります。

ここからは冷静な分析とはまるでかけ離れた、一個人の試験でしかないものをただ垂れ流すことになってしまいますが、私の一つの考えとして、砂塚あきらさんは人間の善性と言うか、美点と言うか。そういった部分に対してかなりの信頼を置いているのではないかなと。

その例の一つとして、私が紹介させていただきたいのは、フェス限定SSR、【レイヤード・マイ・エッジィ】の台詞です。
ちょっと個人的な話になってしまって申し訳ないのですが、このSSRは個人的に私の一番好きな砂塚あきらのSSRでして、彼女の人となりを知れる教科書的な存在でもありますので、ブランフェスなどで運良く出ましたら是非大切にしてあげてほしいなと思います。話がそれてしまいましたね。

さてこのSSRの台詞の中で、彼女の発言には、「自分らしく、胸を張って歩いてほしい」とか、「一緒に楽しんでいこう」とか、前向き、ポジティブ…そういった印象を与える言葉が沢山あるかと思います。それこそ、私のような捻くれた人間が読んだら、余りにも眩しすぎて失明してしまうのではないかと言う位に。

今までの控えめな所があった発言とは一味も二味も、何なら百七味位は違って、ある種の傲慢さ(悪口として言っているわけではないです。悪口として言っているわけではないです!!大事なことなので二度言いました。私は人間には傲慢さがあってなんぼのもんじゃい!と考えているので)すら垣間見える位には、他者に能動的にプラスの影響を齎そうとしているんですね。

これで陽性の人間でないのならば、誰がそうなのだろうか。そう思えてしまうくらいには、光属性だなあと思うような台詞ばかりが並んでいるんですね。

んで、こう言った、まさに陽性の人間になったのも、勿論あきら本人の生まれ持った気質はありますが、やっぱり家族の影響も強いのかなと思います。
きっと両親はあきらの好奇心とかを無理に封じ込めず、安全な範囲内でそれを自由に出していって貰っていたのでしょうし、兄はそんなあきらの面倒を小さい頃から見ていて、時には一緒にゲームをしたりだとか、そういう温かい生活があったのかなと思います。

話を戻しますと、自分らしさを発揮していってほしい、楽しんでいってほしいと言う思いを語っている訳ですが、こういうのって言い換えると、前向きに胸を張って欲しい、と言う事なんじゃないのかなと思います。
こういうのってまさに、人を評するときに美点として扱われる所なんじゃないのかなと、そして、それが色んな人の中にあると思っている、信じているのではないのかなと、私は思います。

私が砂塚あきらを好きなのは、まさにこういう所にあるのです。初期カードだけ見たら、ひねくれにひねくれていてもおかしくないような見た目をしているのにも関わらず、本当は15歳の少女らしからぬ心の余裕と包容力、そして何より人の正の可能性を信じている所と、そう言った大人びた一面とはまた別に、ちゃんと15歳の少女として人生を謳歌している、楽しんでいる。(勿論、その根底にあるのが心の余裕である事は言うまでもないです。)ここまで書いていて、我ながらちょっと誇らしいくらいです。

更に、「勝ち負けには拘らない」と言うだけで、実際は向上心は強く持っていて、自分を高めると言う事に関しては余念はありません(自分をもっと高めていきたいと言う思いもあるのでしょうが、それと同じくらいにはプロとして恥ずかしくないものを見せられないと言う責任感もあるかと思います。割合については…まあ、個人の解釈と言う事で。)。

元々ビジュアル方面(ここでは単純な顔や見た目の良さと言うよりかは、自分を魅力的に見せる技術面として解釈しています)においてのスペックや技量は、SNSや配信をしていたという経歴の関係上、元からかなり良い線を行っていた事、そしてアイドルになってプロの技術を吸収することでさらに伸ばすこと、伸ばし続ける事に成功したであろう事は容易に想像することが出来ますし、ボーカルやダンスについても、先程話した通りの気質を持っていますし、これについても、初期値に関してはそれほど高いかと言われればそうではありませんが、(歌ってみた、とか踊ってみた、系の動画を投稿しているのならばその限りではありませんが、多分ゲーム系中心でしょうし。)こちらもぐんぐん上達していって、割と速いスピードで声踊見の三拍子揃ったアイドルに成長したのかなと思います。(この辺りはただの憶測ではありますが、筋の通っている話ではあると思います。)

さて、そうしてパフォーマンス面も向上して、それと連動するかのように元から持っていた精神面の強さにもより磨きがかかってきたわけで。そうなった砂塚あきらは、最早全方位に死角なし、と言っても過言ではないような気分すら思えますし、ある意味それは事実と言えるのかもしれません。

そんな彼女に、弱点はあるのでしょうか。


先程私は、対人ゲームに置いては、砂塚あきらの特徴の一つである、勝負事に対してのめり込みすぎない性質がある意味偶然上手く作用し、結果的にゲームの腕前も向上して勝てる…そういう影響が生まれているのではないか、と考えました。

ですが、こう言った性質は、現実の勝負では余り強みにならないのかなと思います。
成程確かにゲームでしたら負けても次があります。だから、負けたとしても腕を磨いて出直せばいいし、負けた事自体を糧に出来ればなお良いでしょう。e-sportsとかそういうのを抜きにすれば、100敗してもその分100勝すれば究極良い、そういう作りになっている訳ですから。
だからこそ、勝利に執着しすぎない砂塚あきらのスタンスが活きてきた訳ですから。

所が、現実の勝負というのは、負けたらそれでお終い、再戦の機会なんてものはない…そういうことも珍しくはありません。そういう、一種の泥臭さのある勝負の世界で求められるのは、冷静さや技量を持っていることは前提として、ある種の闘争心、この一戦に自分の持つ全てを賭けると言う気合と考えることもできます。
あきらの場合は、冷静さは先程も言った通り心の余裕から来るものとして有り余っていますし、技量についても十二分に持っていると考えることが出来るでしょう。ですが、「負ければ後はない。この一戦に自分の全てを注ぎ込む」と言う感覚、考え方については、おそらく頭では理解することが出来ても、完全に自分のものにするのは中々難しいのではないかなと思います。と言うか、「一回負けてもそこで完全に終わりではない」ゲームの勝負の元に培われてきたあきらの価値観は、「負ければ後がない」と言う現実の勝負においては、寧ろあまり良い影響を齎さないのかなと思います。

それでもなお、やっぱり基本スペックは高いですし、勝つための最適解さえインプットしてしまえば、それを楽しみながら実行していくだけで良いところまではいけるかと思いますが、そこまで来るとスペックに大差が無い上、勝ちたい気持ちでそのスペック差すら跳ね返すような、一種の火事場の馬鹿力を持っているようなのまで登場してくるわけで、流石にそこまで来ると分が悪いかと思います。

最も、先程も言った通り向上心自体はありますし、勝ちたいという気持ちが微塵もないわけではないので、それをベースとしてスペックだけで圧倒できるくらいまで行ければ理論上は問題にならないとは思いますが、そうなる前に成長の限界が来るかもしれませんしね。

そういった意味では、スマートさより泥臭さが求められる現実の勝負には、余り向いていないのかなと思いますし、ひょっとすれば本人もそれをある程度自覚しているのではないでしょうか。


以上で、砂塚あきらと言う人にたいして私なりの私見を述べてみました。ここまでの内容をざっくりまとめると、
・砂塚あきらは基本的に陽性の人間であり、15歳としては驚異的な精神的余裕がある
・そしてそれを培ってきたのは、砂塚家が健全な家庭であったと言うのが大きな役目を果たしている
・「勝負事には拘らない」姿勢ではあるが、本人のスペックの高さと向上心、心の余裕から来る冷静さもあり、ある程度のレベルまではそれも余り問題にはならないかもしれない
・しかし、トップクラスになると、それに加えて闘争心で限界以上の力を出してくる者までいるので、そうなるとそれを持たない砂塚あきらは分が悪い可能性が高い。

と言う事になります。

長々と語ってしまい申し訳ありませんが、書いていて楽しかったので、それは大切にしていきたいなと思います。

勿論ここで書いた事に関しては砂塚あきらに対してある種の信仰すら持っているのではないかとも思う私が書いたものですので、人によってはまた違う見方があるのかなとも思います。
ですが、そういった、一人のアイドルに対して色んな見方が出来る、解釈の余地を残しているというのはアイドルマスターの良さなのかなと思いますので、そのあたりも含めて、自分らしい砂塚あきらの解釈をしていただけたらなと思います。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。来週またお会いできるのを楽しみにしております。

それでは。

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