今日、僕が先生から教わり生き方を変えることになった言葉

 聖書の中にはたくさんいいことが書いてあります。

 でも、それを読んでただ「わかった気になる」ことを聖書は恐れているし、聖書全体で言いたいことはそういうことなのです。

 「わかった気になる」と人は教養が身についたと思い、周りよりも偉くなったような気がします。

 どんなに素晴らしい本をたくさん読んでも、聖書をまるまる理解したとしても、それだけじゃ何の意味もないんです。

 そもそも、私は聖書のこととか自己啓蒙といいいますか「人生」のことについて、そんなものは教えられるものではないと思うんです。

 とにかく、生きなさい。

 これが何よりも大切。

 生きないと何もわかんないし、頭の中にあるその知識は何の意味も持たない。

 それらは生きるという動作とともに身についていき、果たされるはずのものであるのだから。

 聖書だとか、自己啓蒙の本だとかは正直そんなに読まなくていいと思います。困ったとき、道に行き詰ったときにふと偉い人に助けを求めればいいんです。だってそうじゃないと何の役にも立たないんですもの。頭の中に素晴らしい生き方、考え方の知識があったり、平和に対する愛の理解があったりするだけのものに何の意味があるんですか。

 生きてみないと何にも変わりませんよ


 確かに、そうだった。俺は頭に知識が入るだけで何にも変わっていなかったんじゃないか。ただ単に偉そうぶり、周りに優越感を感じていただけだったんだ。俺も「生きよう」と決意し、もうこれ以降しばらく自己啓蒙の本や聖書を開くのはやめておこうと思った。困っていないのに。

「キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン」

 そうして鐘が鳴り、先生の授業が終わった。先生は何事もなかったかのように、教室を出て行き、50分間寝ていたクラスの半分以上がここで元気に起き出した。