コーヒー
ただのほほんと生きてても精力的に活動していても知らない間に色々なものを失っていると思っているのだが、みんなもそう思っているのだろうか。
つまらない疑問である。
コーヒーを1日1回は口にする。現代の嗜好品の一つ。美味しいね。飲んでしまうね。何が美味しいのかわからないが飲んでしまうね。
コーヒーにはカフェインが入っていてそのおかげで意識を覚醒させ、鈍い脳の回転を早くする。覚醒ドリンク。香りを嗅げば不思議とほっと落ち着くし、そこまで大量に摂取しなければほぼ無害という話。むちゃんこええやないの。
しかしコーヒーを飲むと体内のビタミンCがシューっと抜けていくと言われている。知らない間に。ビタミンCは免疫力とかなんか色々なものを作ったりするときとかにいるらしい。そのビタミンCがシューと抜けていく。
でも知らない間に抜けていくから本来は知らなくてもよい。なぜなら人間は上手くできていて知らない間に抜けていったものを身体は知らない間に感じて知らない間に知らない感じでその栄養素が入った食べ物を食べたくなって補完するという働きを知らない間にする。だから知らない間に抜けていったことを知る必要なんてないわけでむしろ知ることによって知らない感じでコーヒーを楽しめていた自分がいたことを知ってしまい知らない感じで楽しんでいた自分の想い出はあるが知らない感じで飲む体験をすることができなくなりもう二度と知らない感じでコーヒーを飲む自分には戻れなくなり知らなければよかったと思う。知らなければビタミンCの喪失のことを考えずにコーヒーを楽しめるのに。
私は何をするにも二種類以上の行動パターンを考えてしまう。そして結局考えるだけ考えて行動も起こさないまま終わる。勝手にモヤモヤする。行動しないくせに行動したときのビジョンをしかも成功のビジョンを明確に細部まで脳内再生している。成功の栄光の脳内再生をしながらそのまま同時進行で現実世界の行動を起こさない人間の行動をし、急にあるタイミングで急にプツリと現実世界に戻して勝手に戻しといて行動していない自分に嫌気が差す。なんじゃこいつは。なにもしないということがなんの可能性も生んでいないということに早く気づけよ。しかもお前はなにもしないということを選んでいるわけではなくただただ惰性でなにもしないになっているからなんの意味もないということに気づけよ。その人生の無駄遣いに。人生の無駄遣いだ。可能性も捨て命を削り生きているだけの人間だ。平和で身の危険を感じなくなったこのご時世だから死への恐怖心が薄れているんだよ。だからチャンスへの嗅覚もなくなりすべてに逡巡する。バイト先にいる女の子に喋りかけたいのに喋らない。脳内では喋っている。身体はバイトの仕事を続けている。脳内では流暢に小粋なジョークを交えて盛り上がっている。身体はバイトの仕事を続けている。脳内では恥ずかし気もなく今度ご飯に行きましょうまで言うてる。身体はバイトの仕事を続けている。プツリと現実に戻る。そこには誰もいない。もくもくと仕事を続ける自分がいる。
必ずご飯に行けるかは分からないが喋りかけていれば可能性はあるし、少なくともバイトという閉鎖空間で挨拶をして無視する人間はほぼ皆無で二三の会話はできた。その方がもくもくと仕事をするよりも食事に行く可能性は上がるし、その会話の積み重ねでいつか綻びができて食事までたどり着くかもしれない。そのプラスのかもしれないに賭けれないのかもしれない人間。賭けれてへんねん。
純度の高いほぼ100%の感情で行動している人はある種の知らないということによる噛み締めない幸せを噛み締めているのだろうか。他の人の行動理念はなんなのだろうか?何に悩み何を考えているのか。それとも皆私と同じ悩みを抱えていて、私が選ばない行動する方というのを選んでいるのか。こんながんじがらめに考えているのは自分だけなのか。それとももっと深く考察して行動している人間ばかりでそれを誰にも明かしていないだけで私の方が浅はかなのか。全力全身で前進不純物一切無しの人間の脳内を追体験してみたい。そしてそれを自分の人生に活かしたいと最近は考えたりもする。しかしそれはもう甲殻機動隊の世界で素子さぁーん!!である。何がや。
このnoteを読んで知らないことを知ってしまい一つ二の足を踏むことになってしまった方に心よりお詫び申し上げます。
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![安田一平 (太陽の小町)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/10788015/profile_f84a86c417d1859555faa1a28da8bcbd.jpg?width=600&crop=1:1,smart)