映画

批判をしたいわけじゃなく無知。園子温さんとかミスタークエンティンタランティーノとかそういう系の映画が映画自体をよく観る人から面白いよねなんて言われることが全く理解できない。あまり区分するのもよくないが分かりやすく映画好きには評価されてるらしいのだが私には全くわからんちんぷんかんぷん。結局私にとっての面白い映画というのは単純でわかりやすいドンパチ銃撃戦やハッとスカッとする伏線回収が観てて面白いと思ってしまう。ダイハードとかミッションインポッシブルとかオーシャンズイレブンとかアルマゲドンとか。単純で一途

私はお笑い芸人である。ほぼ毎日何かしらお笑いに触れている。お笑いのコアにどこまで迫れているかは分からないが、日々お笑いの真理に迫ろうと切磋琢磨している。毎日毎日一つのことを考えているとある種のパターンや定石、ベタなどがわかってくる。それがマニュアル化されてないがお笑いの世界にもあって日々流々と変わっていく社会情勢の中で可笑し味を見つけるのもお笑いの勉強のひとつである。
お笑い界には芸人に評価される芸人という謎の神秘的なカテゴリーがある。その評価をされる芸人に種類はいろいろあるが、一つに入り組んだ笑いの取り方をしようとしている芸人がお笑い好きにしか評価されないことがままある。たまに客にウケていなくて自己を肯定するために芸人同士が慰め合うかのように言い合うパターンもあるのだが。入り組んだ笑いの取り方は自分が想像もつかないオリジナリティがあるほど神格化されていきやすい。逆にいわゆるわーきゃー系のお笑いに心が動かない瞬間がある。私にとっての心が動かないというのは新しいことに少しは挑戦しているのかとか、振り切ってやりきっているのかとか。もちろん客あっての興行なので、来てくれている人を満足させているということに対してすごく尊敬できる。しかも自分が全然キャーキャー言われるよう立場でないこともある。ただ自分はオリジナリティや今まで見たことがないようなものを作りたくてお笑いの門を叩いて入っているので本を正せば最初から歩いてる道は違うのだろうが、大きくお笑いの世界でくくられているので相対的にそういう評価をお互い受け合うことは仕方ないとも思う。つまりどっちが偉いとかはない。
私は一年目の時に仕組みが単純で考え付かないことを全く言わない芸人達を完全に下に見ていた。それで分かりきった流れのお笑いで笑う客にも睨みを利かせていた。

でもこれってつまり私はお笑いでは園子温好きで映画に対して私はわーきゃーの客と同じではないのか?
映画を数観て触れて映画の出来上がり方や成り立ち、パターン、定石等を学んだり想像できなかったので今まで映画を楽しめてなかったのだろう。そう考えるとお笑いはもっとアルマゲドンのように、他ジャンルへ触れるときは映画好きがミスタークエンティンタランティーノの映画を楽しむ感覚のように触れるべきなんだと。

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安田一平 (太陽の小町)
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