愚痴と捉えられなくもない文章
悲しいという感情と憤怒のぶっ○したろうか!という感情が同時に湧いている。どちらもマイナスの感情。自分の漫才のキャラや舞台での立ち振る舞い、相棒との関係性からくる笑いのとり方が原因でアイコン化やキャラ化が進んでいるのだろうけど、その副産物が目に入るとしんどくなるのね。やっぱり。
こういうことが起きると自分にもう一度問いたくなる。今の笑いのとり方でいいのか?と。自分一人では笑いなど簡単には取れないことを理解しているし、相棒が私をイジることによる笑いのとり方は至極簡単でそれは笑いのとり方を舐めているということではなく、簡単にできるということはつまりそれは適性として向いているということの裏付けになる。それは同時に相棒を活かしていて、お互いを活かすイジられというものでもある。これはお互いが何度も話し合い、その上でお互いのラインを引き合って、両者納得して行っている。そこまでは理解している。
しかし至極簡単に行われるということがプロの技術や何度も話し合ったことからくるものであるのにも関わらず、他人が見るといとも簡単にしているということが、そう見えてしまうということが、私僕自分にも出来そうと思わしてしまうのである。そしてそれは乱暴に乱雑に配慮無しに私に対して行われる。
自分は特段聡くもなく、ただのんびり屋でマイペースであって、良くも悪くも他人に対して何も求めないから、普段は起きた事象には、ただ無心で対応しているだけでだから心を乱さ無いことが多いが、ある一定の範囲のことに対して、例えば自分の考えや気合い入れて行った行動に対しては譲れなくて理解してほしくて声を張り上げてしまう。その声を張り上げてしまう声の張り上げ方がメンヘラだとか、言い訳臭い、男らしくないと捉えられイジられる尻尾を見せる結果となる。目の前で起きれば噛み付けば終いだが、それが自分の目の届かない、範疇外で起きていると、そいつらを○したくもあり悲しくもある。お前らは俺の何を見てきたんや。下げといたらいいみたいなイジりは何もわかっていない素人のやり口やろ。そんなん思わすなよ。やりきれない悲しみ。
問題の範疇外のイジりはそれ自体は特段問題はなく、客観的に見ると別に仲間内のイジり程度のもので、ここまで気持ちが憂鬱になるほどではないということもわかっているが、その前後に何だか色んなものが重なって、それが裏切りに感じて怒りと悲しみにバイアスがかかってしまったように思う。そういう意味では私はまだ人様の前で道化を演じる精神に達していないのかもしれない。
今回この感情のトリガーになった当人とはもう面合わせて会話して、なんとなく悪気なかったという波風を立てない解決の仕方をお互いがしたけど、私からしたら相手に気を遣って遣る瀬無い感情に蓋をしただけで、たまにフツフツと顔を覗かす瞬間がある。本人にはもう負の感情をぶつけることはないが、自分の人生にいつまでもつきまとう壁として存在していることが確定しており、この先も現れるんだろうなという遣る瀬無い感情。
自分の考えや感情を吐露する場としてnoteに上げているので、これを見てもう私で笑えなくなるかもしらんけど、表に発表していることは信念を持ってやっているんだぞ!と言う場所として今の気持ちを書いておく。味方でいてくれよ。
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