「ねっこ」のMVを見て、考察をしてみる
King Gnuの「ねっこ」MVが、12月1日22時に公開されました。
まず最初に感じたのは、絶望の感覚に近い衝撃です。
「えっ、そう来たか」と絶句しました。
もちろん、良い意味です。
ただ、ドラマの書き下ろしだし、そろそろドラマに寄せるんだろうと思い込んでいましたが、違ったんですね。
いや、ドラマを見ていた方々曰く、「イメージぴったり」とのこと。
なので、MV製作陣の想いだけではなく、ドラマ視聴者の気持ちにも寄り添った結果なのかなと感じました。
それから、僕はKing Gnuのファンですが、インタビュー記事を読んだり、雑誌を買ったりするほどではありません。
単純に、King Gnuの歌と曲が好きなだけの人です。
ただ、ほとんど毎日のようにKing Gnuの曲に浸かっており、生粋の「ヌー」と言っても間違いではありません。
あっ、当然ですがCLUB GNUの年額会員です。
2023年東京ドームは行きたかったので、妻に言われるがままに会員になりました。
(ポルノグラフィティは20年以上の付き合いなのに、いまだにファンクラブ非会員)
ちょっと長い自己紹介になりましたが、考察を始めます。
時系列について
捉え方によって少しずつ見解が異なります。
書きたいことは山積していますが、今回の記事はさらっと終わらせます。
note上で「自分がKing Gnuのファンであること」を誰かに知らせて、想いが共有できれば良いなと思っているだけなので。
ケース1:人形だった2人が、人間になったよ、を描いた説
カメレオン→硝子窓→ねっこの順番で進行します。
しかし、これだと彼女が亡くなる描写は悲劇でしかないですね。
悲劇の連鎖を描いた…とも取れるので、なんだかさみしい。
ちなみに、ねっこMVでは、過去の登場人物が出てきます。
・彼
・彼女
・ワンちゃん(お友達)
・運転手(タクシーのテディベア)
・2羽の鳥(彼と彼女)
見落としはあるかもしれないですけど、こんなところかと思います。
これらが何を示しているのかについての見解はありません。
MV制作者は「過去と繋がりがある」と表明しているそうですが、正直、深すぎて分からなかったというのが正直な意見です。
ちなみに、このケースは逆説もあります。
人間だった彼と彼女の死後を描いたストーリーが、カメレオンと硝子窓です。
ねっこ→カメレオン→硝子窓と続きます。
むしろ、時系列から見ると、逆説のほうがしっくりきます。
カメレオンと硝子窓には、娘ちゃんが登場しないからです。
お父さん(彼)、お母さん(彼女)、お友達ワンちゃんの方が、娘ちゃんよりも寿命は短いわけです。
そこに娘ちゃんが描かれていないのは、死別したからとも取れます。
もしかしたら、テレビドラマに合わせた登場人物が娘ちゃんなのかもしれないですね。
そうであれば、この逆説は無くなります。残念(?)。
ケース2:人形劇をしていた夫婦の馴れ初めから、死別までを描いた説
カメレオン→硝子窓→ねっこと続きます。
カメレオンと硝子窓は、夫婦が経営する人形劇の話。
彼と彼女の出会い、そして別れ。
それらを悲劇とも喜劇とも取れる形で、人形劇を披露していた。
しかし、ねっこMVにて、彼女は不慮の事故に遭い死亡します。
彼と娘ちゃんは悲しみに明け暮れます。
ただ、彼女が遺した娘ちゃんのために、彼は天寿を全うすることを選びます。
本当は彼女についていきたかったけれど、ささやかな幸せを彼女が遺してくれた。
そのことに感謝しながら、今日も人形の制作を生業にしていく。
ケース3:人形劇をしていた夫婦が死別し、死後の世界を描いた説
ケース2で出した「逆説」です。
カメレオン、硝子窓にて娘ちゃんが登場しない理由は、彼と彼女、そしてお友達ワンちゃんの方が先に亡くなるからです。
自然の摂理をマイルドに描いた、とも取れます。
ケース4:ただただ、ささやかさを描いた説
映像に深い意味はなく、「ささやかとはこういうものだよ」という制作者からのメッセージ説。
当たり前が突然、目の前から消えたら?
そんなことを考えさせてくれる話なのかなぁとも思えます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今回はここまでにします。
この記事を書いている間にも、「違うなぁ」と思う部分が増えてきました。
何も調べずに書き出しているので、お前それ、ちゃうぞ!というツッコミがありましたらコメント欄でお知らせください<(_ _)>
ここまで読んでいただいてありがとうございました!