人生の節目、あるいはコンマについて
“I don't know if we each have a destiny, or if we're all just floating around accidental-like on a breeze, but I, I think maybe it's both. Maybe both is happening at the same time.”
“僕にはわからない。僕たちにはみな運命というものがあるのか、それとも、ただ風に吹かれて漂っているだけなのか。でも、僕は思うんだ。きっとその両方じゃないかって。きっとその両方が、同時に起こっているんだと思う。”
これは、映画「フォレスト・ガンプ」の主人公による台詞の一節。僕はこの映画が一番のお気に入りで、一体これまでに何度見返しただろう?
生きてきたこれまでを振り返ると、「あのとき、ああしていたらまた何か変わったのかな」と思うような節目がある。僕が思い出せるのはその中でも特に印象深い出来事であって、おそらく日々の生活、そしてその総体としての人生とは、そんな節目の連続でできている。
今から6年前に開催した個展「コンマ展」。僕は、ひとりの人間の生涯をひとつの物語 = 書に綴られた文章にたとえたとき、上で述べたような人生の節目は、それぞれの文中における「コンマ = 読点」に相当するのではないかと考えた。
そして、
『生きるって、コンマの連続でしょう』
というコピーをつくりました。
物語の中でコンマを打つ時/打たれる時というのは、かならず、その直前まで言葉、文章、物語が存在し、そしてその先にも言葉、文章、さらに物語がつづいていくことを意味している。コンマによってそれまでにひと区切りがつけられ、それと同時に、また何かが始まっていく。コンマのあるところには、かならずやわらかい終わりと始まりが存在している。
そう考えたとき、人生の中における「節目」の意味とは、逆説的にその人生が今まさにつづいていること、その人が生きているということの証明といえるのではないか。僕たちが日々、何かを決めるとき、選ぶとき、動くとき。それは僕たちという人間一人ひとりの一生が、きらりと輝きを見せる瞬間ではないか。
そこから僕は、「コンマ」という記号それ自体が、「生きていること」「生命」を象徴するものといえるのではないかと、そう考えるようになりました。
そんな「節目」というのは、さまざまな大きさで、様々な質感や形をもってやってくる。大きなライフステージの転換点(入学、卒業、入社、転職、結婚、出産、死別etc.)もそうだけど、日々の些細な選択、たとえば今日の昼食をどうするかであってもきっとそう。節目の中には、ひとりで決めたこともあれば、自分だけではどうしようもなかったこともある。冒頭で紹介した一節のように、それはもしかするとすでに決められていたことだったのかもしれないし、あるいはすべて、単なる偶然だったのかもしれない。
それでもただ節目というものはやってきて、その度に、僕たちの物語 = 人生はそれぞれ展開されていく。
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僕が直近の人生で感じた一番の節目は、大学入学のこと。2016年3月当時、関東出身の僕は九州の大学に行くことが決まっていた。これまで関東を離れたことのなかった僕は、個人的な思い入れの強かった九州という地での新たな生活に、期待と不安の入り混じる大きな興奮を感じていました。
事前に九州まで足を運び、現地の不動産屋さんに案内をしてもらい下宿する場所を決めた。僕がすでに持っていた家具については、2トントラックをレンタカーで借り、父兄と3人で往復2,000kmの道を走った(とんでもない企画のように思えたけれど、今では本当にやってよかった楽しい思い出のひとつ)。それ以外の家具についても地元で購入を終えて発送日を指定し、それらは僕が現地で生活を始めるタイミングで、下宿先に届くことになっていた。そうしていよいよ、僕は地元を離れて九州へと向かうことになった。
九州へ向かう途中、京都に降りる。これまでお世話になった関西在住の人たちに進学の報告と感謝の気持ちを伝えたくて、それぞれ昼食や夕食の予定を調整してもらったのだ。僕は京都や大阪の街並みをひとり歩き、かつての恩人たちと旧交を温めることが心から楽しみだった。
たしか京都には4日ほど滞在する予定で、1日目、2日目と、次々に場所を変えて人と会った。ある人は多忙のため、朝の出勤前に30分、カフェで時間をもらったりもした。とにかくありがたかったのは、皆さんが僕の判断や九州での新生活について、温かくポジティブな言葉をかけてくれたことだ。2日目の夜に会社員時代の先輩と別れ、ほろ酔いで安宿に戻る帰り道。僕は彼らから受け取った激励の言葉を反芻しながら、新たな環境への覚悟をあらためて大きくする。そうして宿に到着すると、まもなく寝床へとついたのだった。
そして3日目の朝。
僕のところに、1本の電話がかかってきた。
(つづく)