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中丸くんの復帰と事実と感情、解釈の切り分けをしながらKAT-TUNを思う

2025年、あけましておめでとうございます。

2024年は自分の中で健康と子どもの勉強に注力しつつ、中丸くんの結婚や一連の謹慎までを通して「解釈しすぎない、解釈しすぎてる自分に気付く」年だった。

中丸くんの結婚には嬉しいや驚き。
謹慎には悲しみ、少しの怒り。 
すべて私の感情で、解釈。

全て、「結婚」や「謹慎」という事実に対しての、オタクの私個人の解釈や感情でしかなく、実は中丸くんに関係ないこと。

例えば、「結婚した悲しみや謹慎するような事をした事実への失望感や少しの怒り」は自分の感情。

だが、そこで発生していく「謹慎して復帰する、さてこれからKAT-TUNやよにのちゃんねるをどうするか」「謹慎したことでのパートナーとの関係」は中丸くんとKAT-TUN、よにのちゃんねるのメンバー、中丸くんのパートナーとの2者の問題なのだ。
そこを混同して、自他境界線を曖昧し、口を挟んで、勝手に中丸くんがこれを望むとか傷ついてる、という憶測を発信したくなかった。

好きになれる距離感を自分で推し量っていくこと。
何かしらの解釈や感情を通して勝手に中丸くんや何かに対しての代弁していい気にならない事、そういう事をたくさん考えた一年だった。

謹慎期間、上田くんや亀梨くんのフォローがあって有り難さが湧いた。正直救われた瞬間も多々あって、申し訳なさもあった。
ただそこに必要以上の意味を見出しすぎて彼らの負担になるのは、私の矜持としてしたくなかった。

また、アイドルの結婚はこうあるべきとか、謹慎とは、とか、きっと彼はこう言ってるに違いない、これはこういう意味が隠れてる、勝手に言葉の裏を読んで考えて解釈を発信していく。そういった行為で、アイドル本人、メンバーたちが発信してない事を邪推したくないのだ。
そのまま、言葉を受け取りたい。

お目出度い、信者のようと言われたらそれまで。

ただただ、自分の思想や感情の八つ当たりや発露のために推しを使用したくない。

この私の感情は、シューイチでまじっすかをまだまだ言わない事に焦れるとか、家事ヤロウで美しい白魚のような指や手で料理してる姿を目に焼き付けながら絶叫するとか、新しいシングル曲やアルバムを出した喜びやMVが公開されて目が潰れそうなくらい美しく踊る3人を観る尊い、ライブグッズに懊悩する、ライブで同じKAT-TUNと同じ空気を吸える嬉しさ、3人が楽しそうにMCしているのが愛おしいとか…そういう事に使いたい。


中丸くんは、2025年1月3日に復帰し、KAT-TUNでいることを選んだ。他の2人もだ。

私はまた応援したいし美しく舞って踊って時に楽しげに時にアグレッシブに歌うKAT-TUNを見たいという選択をしたい。
ただ、ひとによっては色々な感情や思いが渦巻くのは、謹慎から復帰という事実があるからこそ。
無理にのめり込みすぎず、好きになれる距離まで離れたり近づいたりしたらいい。時間がかかってもいい。
推しに健やかでいて欲しかったら、自分も健やかでいられる距離でいたらいい。

私の目には、復帰動画で、上田くん亀梨くんが並んで、その二人が下がったあとに中丸くんが謝罪して、また3人がいつものように並ぶように見えた。
その事実をまずは、受け止めて噛み締めていたい。




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