中丸くんの結婚から、心の境界線(バウンダリー)と"推す事"の効能を考えた
推しが既婚者になるのは2回目です、ジャニーズオタクのいおりです。
既婚は、推しの"状態"であって推しの"変容"ではないはずなのにひとはなぜ動揺するのか。
"私は中丸くんの歌って踊る魅せる姿が好きだし、発する言葉も好きで、中丸くんの撮る写真(中丸くんが見ている風景や視点や人物)が好きだし、美しいと思う。
その中丸くんがもたらしてくれる、様々な感情すら愛おしいというかより豊かになる心持ち。
ただこれはマイナーな考えかも、と最近思う。"
"パートナーとの婚姻で中丸くんが変容する事があっても急に何処かに行く事はないのに"遠くにいったような感覚"を感じてるひとがいたのは私にとって興味深かった。相手が自分から離れていくのか、自分が相手から離れていくのか…。推す事はある種、心の境界線(バウンダリー)が緩みやすいなとも思う。"
"心の境界線が緩むと、「他者」である事を忘れるから「身内」のような感覚でのめり込み応援したり恋情のような情動に駆られるかもしれない。それが閾値を超えると、他者の権利を侵害してしまう。推す事はエネルギーを交換し合う良さもあれば、そういう危うさをはらんでるときもある。"
"中丸くんは勿論、中丸くんのパートナーの権利を侵害しない範囲で推すには、"心の距離"だったり"物理的な距離"(何を観聴くか何を観ないか聴かないか、SNSはコントロール出来る範囲のSNS使うとか)を意識しながら観察して、調整し、はかっていけたらと思う。"
"自分の問題だから"と自制的なツイートを見た。"自分の心の課題"と出来事を分離している自律した行為だなと思う。自分と他者がごちゃまぜになると問題は起きやすいから分ける。アドラーの課題の分離のよう。ただそんな簡単に割り切れないから、時間薬だったり"発露"していくのがいいのかもしれない。"
結婚の一報から数日経って、上記にあることをツイートした。
つらつら心理学を絡めながら書き綴るあたり、防衛機制の知性化だよな…とまたネチネチ考え始めるあたり実に私らしいと思う。
防衛機制
要は理屈っぽくなって、自分の心を守ろうとするくらいには驚いたのだ。
結婚の一報を最初目にしたとき、お目出度い気持ちと共に得もしれぬ衝撃に見舞われた。
実はお正月のシューイチを観て、何だかとろけるような柔らかい表情の中丸くんを見つめてそろそろ結婚しないのかななんて勝手にイマジナリー姑になってしまったので「私勘がいい!天啓!」くらいに思った。
けれど、落涙して電動自転車に買い物の荷物を全て忘れ、買ったポテチをバリバリ食べてどこか逃避していた。
おめでとうと驚きの間をいったりきたり。
しかし、時が経つに連れ何周も考えたらこんな衝撃や涙する気持ちをくれる中丸くんが愛おしい、この得も言えぬ気持ちを乗り越えるとか忘れるとかよりこんな感情が自分にあったという発見。
心象風景が増えたような感覚になった。
https://www.vogue.co.jp/celebrity/article/in-my-mode
>スー 「寂しさや辛いことは、乗り越えなければならない山ではなく、それも一つの心象風景だ」とファンとのインスタライブでおっしゃっていたのが印象に残っています。
(宇多田ヒカルとジェーン・スーのインタビュー、スーさんのフラットな聞き方と精神分析を受けたひとがみえる世界を素敵な表現で伝えてる宇多田ヒカルが素晴らしいです)
長年精神分析的なコンサルテーションを重ねているが、少しずつ薄紙を重ねるようにセッションして自分を見つめていくと、物の見え方が変わった。そこに、ただ出来事や事象があるだけ。そこをどう解釈していくか情動がどう動くかは自分次第なのだと思うことが増えていった。
そんな綺麗事を言っても、こうやってみっともなく動揺するし、パートナーと衝突はするし、着替えてパンイチの息子氏を叱りつけてしまうこともあるけれど。
中丸くんの話で言えば、初めてこの肉眼で観たfantasiaのライブはずっと泣いていた。お気に入りの紫のアイシャドウが流れるくらい、美しいダンスをしてサングラスをかけて華麗に舞う中丸くんに見惚れるくらい感動したのだ。
KAT-TUNのアルバムはほぼ聴いてるが、Honeyが好きすぎてFCに入っていない事、体調を崩してチケットを取れずライブが観られないことが悔しくて泣いていた。
ソロ曲は皆好きで歌声の音域の広さや声の甘やかさに何度聴いても心が震えるし、話題になったシンデレラガールではトキメキが止まらなかった。歌番組に出てたら泣きながら観るし、過去の映像で後輩を従えながら歌う姿はファンの方がいう帝王様でひれ伏した。
家事ヤロウは深夜の頃からお気に入りでちょっぴりサイコパスな中丸くんが垣間見れるから、クスクス笑っていた。ちょっとハズした事言って、バカリズムさんやカズレーザーさんやゲストに突っ込まれてる中丸くんが愛おしい。
中丸くんは職業アイドルとしてそこに立っているだけなのに、応援や推すとなると色々な感情が湧き出るし解釈を足してしまいそうになる。
中丸くんが誰かと結婚発表する妄想はなぜか2023年〜2024年の年末年始でよくしていて、自分のリアクションやメンバーのリアクションまで妄想した。
感情はただ風景のようにそこにあるだけ、解釈を自分が足していってる。
分かっていた。
なのに動揺して、スマホを握りしめて泣いて、夕方の買い物の荷物は全部電動自転車に積んだまま。数日間何かしら、やらかしていた。
中丸くんと自分の生活との間に境界線をひいてたつもりが、 こうも動揺するのか。
でも、考えれば考えるほどに生活に彩りをもたらしてくれた中丸くんと中丸くんが与えてくれるこの感情は中々に得難い感覚である。
中丸くんが存在して、私が中丸くんを好きになって応援してからこその彩り。
このnoteは紛れもなく発露だし、Twitterやnoteで他に気持ちを表していく人たちの叫びや嘆きや気持ちの整理も発露だと思う。
度が行き過ぎた言及や行動は控えるべきだが(私個人の矜持としては、中丸くんの結婚相手のやる事に踏み込みたくないし尊重したい。中丸くんの周囲がお祝いしたい気持ちも大切にしたい。例えば他のメンバーや何かを引き合いにするのも避けたい。)抱えきれない思いはアウトプットして整理していけばいい。
応援している気持ちは確かだし大々的にやったー!おめでとうー!嬉しいねー!と言いたい気持ちは嘘でないけれど、動揺した気持ちもあるのだって私の中では本当だ。
きちんと心の境界線はあっても、こんなに心を動かしてくれる中丸くんは凄い。
そういう意味で、未だジタバタするこの感情をくれる中丸くんがやはり愛おしい。
こういう心象風景が増え、豊かになっていくのが推し活の効能だと思っている。
最後に
中丸くんがアイドルというものをどう捉えていて定義しているか、私には分からない。
アイドルを偶像崇拝だと言う人もいるし、アイドルの仕組みは恋愛感情を利用したものなのだから…という人もいる。
色々な定義があれど、中丸くんが自分の事を"アイドル"と思いアイドルで居続けるなら、アイドルとしての中丸くんを応援していきたい。