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バカ・・・見えない臍の緒を握りしめる人の姿

子供の頃から「バカ」とはよく言われた。
バカなことをやってしまうから、「バカ」と言われるのは仕方がない。

私に「バカ、バカ」言うのは親しかいない。
それは圧倒的に母だ。
父のほうも「お前はバカだなあ」くらいは言うけれど、言い方はソフトなもので、私のバカを笑ってくれている、そんな感じだった。
それに比べて、母の言う「バカ」は痛烈で強烈。
怒り心頭に、ときには泣き出しそうに、大いに呆れて「バカ、バカ」言う。

こうして「バカ、バカ」言われて育ったのに、私は「バカ」が劣等感になっていない。
つまり、「バカ、バカ」言われても、身に沁みてないというか、間に受けてないというか。

ある意味、人はみんなバカだと私は思っている。
誰でも、生きてりゃバカなことをする。
誰もが「バカ」を持って生まれてきて、「バカ」をしながら生きてくものじゃないかと。

漠然と、そんなふうに子供の頃から思っていた気がする。
だから、「バカバカ」言われても、「バカ」という言葉に傷つかずに生きてきたのだろう。
まあ、自分の持ってる「バカ」がぼんやりでも分かっている分、バカじゃない部分もあるのだと開き直ってもいる。

ある人がこんなことを言った。
「自分の子に「バカ、バカ」言う親は、子に越されるのを怖れているんだよ。」

「え?」と思ったが、「あ!」とも思う。
子を持つ身ではないから、親の実感はわからない。
でも、ちょっとわかる感じもある。

私に「バカバカ」言う母は、怖かったのかもしれない。
自分の予想を超えてバカをする娘が。
自分の世界以上のバカを持ち込む娘に、びくびくしていたのではないだろうか。
母が持つバカのレベルを超えるバカを持って生まれてきた私は、つまり、自由度の高いバカなのだ。

こんなことを考えていたら、鼻の奥がツンとしてきた。
親として怖れる感情と、自分から生まれても別物の人生を持つ子に対するライバル心に似た思い。
子を持たない私には理解できないところがあるとしても、娘に対する怖れの感情もライバル心も、それらのすべてが、私に向けられた複雑な愛に他ならない。
複雑な愛のコードを、見えない臍の緒にして握りしめている人の姿が浮かんでくる。

「バカバカ」言われたバカには、その姿がいまさら愛しく映ったりして。



20121027



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