元電通のコピーライターであった田中泰延さんの書かれた「読みたいことを、書けばいい。」を読んだため、感想と気になったポイントの引用を投稿します。
改めてNoteに投稿するにあたって、文章を書くとはどういうことなのかを考えるためにこの本を読んでみました。文章スキルという話はほとんど出てこない代わりに物書きとしてのマインドセットや文章を書き続けてきたプロである著者の考えの一部に触れられる良書でした。
全体を通じた感想
もともと電通のコピーライターの方だから、短くまとめることにおいては日本で指折りの人でですが、本の体裁上、必要な肉付け一つ一つがユーモアに溢れており読んでて退屈にならない本です。
描くためのHOW本ではないが文章を綴る全ての人に読んでもらいたい本。文章をうまく描くには、まず書いた文章をまず自分で面白いと思わないと、誰も読まないという考えで一貫しています。評価は他人が決めるものなので、狙いすぎずにまずは自分が面白いという目線で書く、この点は「嫌われる勇気」にも出てくる課題の分離にも通じる部分であり、面白いという事や幸せの定義を他人任せにしないという自分の最近の生き方のポリシーにも通ずる部分がありました。唐突に話が逸れてしまいますが、言葉の定義・使い方に責任を持つという考え方は、鬼滅の刃出てきた冨岡義勇さんが主人公の炭治郎に言った「生殺与奪の権を他人に預けるな」という言葉にも通じていました。
この生きづらい世の中をサバイブするためにとても大事な考えとして共感できる点を再発見できた本でした。ありがとうございました。
気になったポイントの引用とそれぞれに対する感想
今まで随筆とは、徒然なるままに書かれた文章くらいの定義にしか考えられていませんでしたが、事実を感想という両方が成り立って初めて成立するという言葉の定義の丁寧さに感銘を受けました。
趣味の定義についても同様です。その定義に関しては考え尽くしたことがなかったです。 ただ、一部本当?という目線で考えてみます。例えば、スポーツ、テニスなどはそれ自体が目的になっており、手段が目的にすり替わったこととなるのか少し疑問でした。
これに対しては、スポーツを勝敗が決まるもの、それを突き詰めるものとするならば、勝敗を気にせずに楽しんでいる時点で勝敗が決まる過程である手段を目的化しているといえるではないかと考えました。
この点は、パワポのリード文や説明における一言の長さに通じるため、自分にとって参考になりました。
情報が溢れている中で、情報の集積とも言えるCMは録画のスキップ機能やそもそもの基盤であるテレビの存在意義という観点で転換を迫られているのではないかと考えました。情報が溢れる中、もう情報はいらないという受けての気持ちを汲み取って、まずは面白いと感じてもらう、興味を持って話を聞いてもらうのは二の次というCMに芸能人を使う原点に立ち返ったアクションとも言えるのかもしれないと考えました。
改めて、嫌われる勇気、課題の分離の重要性を再確認したポイントでした。 鬼滅の刃にて、柱の一人である冨岡義勇さんが主人公の炭治郎に対して「生殺与奪の権を他人に預けるな」と怒鳴ったシーンが印象的で、ずっと心に残っているのですが、その考えに通じるものがあると考えています。この点は、現代における人間の幸せにも通じる部分ではないかと考えます。
就活は劇場ではなく、対話であることを再確認した部分でした。自己紹介しか求めていないのに、延々と自分を演じ始める学生に対する違和感はまさにここにあると考えました。これは求めている企業側も悪いですが、入社後にこんなことしだす学生に対してはイライラするにもかかわらず、就活という異様な場面においては相手に求めてしまっている異様な空気感のようなものを感じました。
今はジョブ型の号令の下で、皆が自分を知らないにもかかわらず、何者かになりたがっている気持ち悪さがありましたが、この文章を読むことですっきりしました。心配しなくても一定会社に身を委ねたらいいのではないでしょうか。なぜなら、あなたは会社員を選んだのだから。自分の意思を込めるのは、給料以上の働きをできるようになってきてからでも遅くないと思います。ちなみに給料以上の働きとは、その一瞬において、上司が選択肢うるメンバー候補のうち、その仕事をするのはあなたが最善手だと上司に思わせることができるないしできた仕事と考えています。
改めて労働の定義を頭の中で整理するきっかけになった文章です。 特に自分は②③の側面が強いため、①を中心に考えている人より、自由に労働している実感が強いです。
ここまで読みたいことを書けばいいと言ってきた著者が改めて、独りよがりにならず読み手に価値のある文章を書くためにはという観点で書かれた章であり、この部分が同一の主張をする他の著者と本書の著者の差を分ける真髄なのではないかと考えました。これはのちに出てくる図書館利用という奥義を公開した際の著者の後悔にもあらわれているように感じました。
起承転結の承ってなんだ?とよくある話ですが、それは本質がわかっていないだけだったことを理解しました。具体的に展開しながら読者を引き込みながら帰納して一般論にして、転へつなげる非常に重要なステップとして認識し直しました。
この点は、貨幣も言語もサピエンス全史に出てきたフィクションの産物の代表格であることとリンクしました。また、ゼロサムではなく、プラスサムという前提についても非常に明快に頭に入ってきました。