ままならぬ 【エッセイ】
分厚い曇り空からパラパラと小雨が降ってくる。
この程度なら傘は要らないだろうと息子と二人でバス停まで歩いたが、息子をバスに乗せた後、図ったかの如く勢いを増した雨は容赦なく、私を濡れネズミに変貌させた。
自宅に帰って雨に濡れた髪をタオルでふき、
「どうせ雨なら洗濯物も乾かないし、今日はサボっちゃおっかな☆」とカーテンを開けると、網膜に焼き付いたのはさんさんと降り注ぐ冬の陽光で。
どんだけツンデレな天気なんだよオラァ!
と独り言ちた後、洗濯機を回しながら久しぶりの駄文を書いている。
あまりにこのシリーズを書いていないせいで、公開先の一つである「エブリスタ」さんで「休載表示」が出てしまった。
一時期は毎日エッセイを書いていたと言うのに、なんという落差だろうか。
書きたい事は山のようにあるのだが、プライバシーだの身バレだの考えているうちに筆が止まってしまった。
おかげでリアルタイムの出来事ではなくなったため、かえっていろいろなエピソードが書きやすくなった――かも知れない。
私の創作においての近況は、相変わらず、うだつのあがらない結果しか出せないでいる。
初投稿で「もう一歩の作品」に選出していただいた賞に再度チャレンジし、見事に散った。
最新作品の『雪解け』では、丁寧な感想やレビューをいただく一方で、pvの割にイイネやスターが極わずかという、なんだか複雑な気持ちになる評価結果を残した。
この作品は実在の事件を基にしており、私は容疑者候補の一人としてDNAを提供した思い出がある。
察しの良い方はどの事件か既に突き止めているかも知れない。
この事件について書いてみようかとおもったけれど、『雪解け』そのものがさほど受けが良くない作品だったので、今後もし需要があったら回顧しようと思っている次第だ。
今は、精神障碍の体験談に関する公募に、障害関係者として、チャレンジしている。
私が不勉強なだけかもしれないが、精神障碍での文章の発表の場なんて珍しいんじゃないだろうか。
私は人生のほとんどを、精神障碍のケアで過ごしている(気がする)
まさに、これは私の為の公募!
これなら書ける!
トップ取ったるで!
という、短絡的な思考で挑戦をはじめた。
もちろん、被写体は母だ。
私の母は六〇歳で統合失調症と診断され、入退院を繰り返した。
病気によって生きる活力を失った母は、一日の大半をベッドで横になって過ごし、さながら寝たきり老人のような状態だった。
その生活態度が、元々持っていた重度の糖尿病を悪化させ、内科の面でも次々と新たな病気が見つかり、最終的にはとある感染症にかかる。
緊急入院した先の医師に、自宅介護の限界を指摘され、介護施設の入居を奨められた。
今では施設で暮らしている。
実は私は、施設入居した後の母に会えないでいた。
最後に会ったのは、緊急入院した時。その時の母は、糖尿病にもかかわらず、太って体が数倍にも大きくなり、目つきはどんよりとして会話がほとんど成り立たない状態だった。
生命活動や喜びに背を向け、ひたすら眠りの世界に引きこもる人――それが、最後に見た母の印象だった。
施設での母は、必須活動であるリハビリをこなし、以前より元気になっていたとは聞いていた。しかし、それ以外の時間はやはり寝て過ごしているようで、LINE通話で見た母の姿は、入居する前の独特の嫌な空気を纏う彼女の姿と同じに見えたのだ。
私は母のそれらが、何の努力もせずに緩慢な死を迎えようとしているように思えて、認めたくなかった。
私は母の現状を受け止めようと心を変える。
公募作品を書くためのネタ探しという言い訳を掲げ、母に会いに行くことにしたのだ。(いや、もしかしたらまごう事なき本心からの行動かも知れないけれど)
父に連絡はしなかった。
父とはその後、最低限の用事を互いに連絡する程度にはその仲を回復している。
彼とは一時期とある事情で絶縁状態にあった。
私自身、父のした事を許してはいないが、母や息子の事で必要があれば共同戦線を張れる自分に気が付いた。
私は、相手を許さずとも、必要とあらば家族として共同体を運営して良いのではないかと思っている。
事前連絡無しで母に会いたい気分だった私は、小さなお見舞い用の花を買い、電車で小一時間程揺られ、母の施設へ向かった。
老いた母を目前にして、動揺してしまった時用に、心情を吐き出すための日記と万年筆は持ってきている。道中は余計な事を考えないよう、文庫本を読むのに没頭した。(その割には何を読んでいたのか思いだせないのだけれど)
やがて母の施設に到着する。
流石にこの時になって、何の連絡も無しに施設へ行くのは、父に対して大人げないだろうかと弱気な自分が顔を出したので、父宛てに
「今、母さんの施設に向かっているよ」
とメッセージを送った。
するとすぐに返事が来た。メッセージにはこう書いてあった。
「施設今、母さんがノロウイルスに罹ってしまったから全面的に面会禁止だよ」
全面的に面会禁止。
初耳である。
それはそうだ、誰にも連絡しないでここまで来たのだから。
「実は感染源は母さんで、施設内でクラスターみたいになっちゃったんだ。ちなみに父さんも移された。苦しい」
父に病院の受診を奨めた後、私は途方にくれた。
まさか会えないとは思っていなかった。
その上、話を聞けば母が騒動の原因だというじゃないか。
何をやっているんだ母さんは。
勿論、私も、だ。
親子の情けない間抜けな共鳴を感じながら、私は施設の人に事情を話して、母の感染をひたすら詫び、花だけを母に届けてもらったのだった。
こうして、揺れる心情を吐露するはずだった日記帳は只の紙の束と化し、母との再会は延期となったのだ。
皆さんは何事にも、報告、連絡、相談が出来る大人になりましょうね☆
上記の文章を書いた後、洗濯終了のアラームが浴室から響いてきたので、洗濯物を干そうと窓の外を見た。
快晴はいつの間にか、大雨に転じていた。