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朝のさんぽ


もうすぐ梅雨がやってくる。

来週の天気予報を見ると、一週間まるっと雨。
私は雨も好きなので単純に嬉しい。不謹慎であることは重々承知だけど、特に土砂降りの雨が好きだ。空が灰色になって、窓から見る世界が雨によって霞む。それを安全な場所から眺めるのが好きだ。なんなら台風も好きだ。強い風に当たると心が弾むし、強烈な自然に畏怖の念を抱く。(これらは大きな自然災害や事故に遭遇した事がない幸せ者のたわ言なのでご容赦下さい。。)

梅雨を目前に控えた、とある休日のこと。
目覚めて窓の外を見ると快晴だったので嬉しく思い、ひとり朝から海辺を散歩することに決めた。20分ほど車を走らせて、フィルムカメラを持って、お気に入りの海辺に向かう。

ニューバランスのスニーカーで来たことを一瞬にして後悔した。
歩きやすいけど靴の中に砂が入ってたまらない。それでも少し肌寒く感じたので、靴は脱がずに歩き進むことにした。

松原を横切る小道を抜けると、一面に海が見えた。
砂浜が反射して白く光っている。海辺の植物たちも新緑の季節なもので、初々しい明るい緑色をしている。初夏らしい、さわやかな景色だった。6月は夏至ということもあり、日中の時間が長く、朝から明るく既に昼のように感じた。

海の波の写真は、よく撮るのだけど何度撮っても楽しい。一つとして同じ波はないなどとよく言うが、本当だなあと馬鹿みたいに何度でも感心してしまう。

海を見ていると、海面という"海のふた"の下には魚たちが住む別の世界があることを想像してしまう。海面は一種の"境界線"であり、その先には私の知らない世界があるのだ。

ふと子供の頃に、"ともだちは海のにおい"という工藤直子さんの本を読んだ事を思い出した。ビールがすきなクジラとお茶がすきなイルカが出会い、海の中で"ともだち"になって一緒さんぽしたり読書をしたりして過ごすのだ。

この本の中では、線画の挿絵があり、可愛いらしいクジラとイルカが描かれている。それに加えて、工藤さんの柔らかくあたたかな、わかりやすく優しいひらがなで記された言葉によって、とてもきれいな海底でクジラとイルカがそれぞれを大切に思ってそばにいる様子が連想される。

海の底もしずかだ。
魚はねむっている。イカも、砂の毛布をかけて、ぐうぐうねむっている。コンブの林もしずかだ。ときどきゆれるのは、コンブの根もとで、魚がねがえりをうつからだ。海の底の砂粒は、ほんのすこしずつころがり、どこまでもどこまでも、しんとしている。
くらい夜の、何もない海。
ふたりが であった/ともだちは海のにおい

朝の海辺を歩いていると、あまりにも海が青くきれいだったので、ふとそんなことを思い出してしまった。初夏の晴れた日の海は、やわらかくてあたたかく優しい。冬の寒々とした空気はすっかりいなくなっていて、もうすぐ来る夏にどうしたってワクワクしてしまう感じ。


想像以上の海の青さに心をうたれながら、砂浜を歩きまわり少し疲れてきたので帰ることとした。ひとりで海に来ることはあまりないので、こういう一日の始まりもいいなと思った。

初夏の若葉の香りと潮風を漂わせて吹くさわやかな6月の薫風を感じた、日曜日でした:-)


読んでくださり、ありがとうございます。
素敵な日曜日の夜を過ごせますように。


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