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④症状とエピソード

大切な命との別れが及ぼす心理的、身体的影響

心....深い悲しみや思慕の情、罪悪感、後悔、自責、分離不安、抗うつ、混乱、絶望、を経て空虚、挫折感、償い、最後の姿が脳裏に焼き付き頭から離れないなど、様々な感情から味覚が無くなったり、喜怒哀楽の感情が欠如したり、逆に他者に怒りをぶつける攻撃性が現れたりすることも。感情のはけ口として標的となり、当たられてしまう周りの人は、グリーフの一環と認識してくれていれば、受け流すことも出来るのでしょうが、まったく無関係の場合は、社会生活において好ましくない状態になりうることでしょう。そのことから、ペットと暮らす本人はもちろんですが、「ペットと暮らす人、と、つきあいのある人」近しい人もペットロスに対する知識を深めることで、ペットレスを重症化させた飼い主から傷つけられる事態も飼い主本人の悲嘆も重症化を軽減させることも可能になると思います。一過性ではあるものの、亡くしたあの子の幻覚を見たり、あの子の発する物音が聞こえたりする幻聴、あの子の匂いがしたりする幻臭を感じたり、あの子がそばにいて触れ合っているような感覚、幻触など、多くはスピチュアル的な感覚体験として捉えられます。同時に思考力や集中力は低下し、亡くしたあの子を心のなかで益々特別化、理想化し、喪失感を更に募らせる....というような思いの外に、意外にもある種の「とらわれていた心の開放感や安堵感」の感情も入り混じったりする場合もあります。(これは病気で苦しそうな子の看病や苦しむ様を診続けて、心身ともに疲労困憊している飼い主さんがその現状から解放されるなど... の一例です)

体、行動....疲労、脱力感、胸苦しさ、動悸、呼吸促迫、息切れ、口腔や喉の緊張感、知覚過敏、自分で考えて行動している実感がないなどの離人感、睡眠障害、食欲障害、注意力散漫からケアレスミスが増えるなど。社会的に孤独感や疎外感、社会的ひきこもり(外出したくない、人と会いたくない、他人のペットを見たくない、テレビや雑誌など情報に触れたくない) 無関心(世の中の変化に興味がない、すべてがどうでもよい)勤労意欲、学習意欲の低下、探索(亡くしたあの子の痕跡を探す)、思い出の保守、あの子の死を思い起こさせる場所への回避(トラウマ)などの症状が出る場合があります。また、もっと心理思考が深いところまで行くと、亡くなったあの子は虹の橋でどのように暮らし、どのようなことを思っているのか、飼い主のことをまだ覚えてくれているのか、飼い主を恨んだりしていないか、謝れるのなら謝りたい、愛していたと再度伝えたい、霊的な方向へすがる場合もあります。あのときあんなことをしたから、バチが当たっているのだ、と罪業感(前世でなにか悪行をしたのでその報いを受けている)を感じたり、なにかに縋り付き、神や仏はいるのか?いるのであればどうすればよいのか悟りを問いたい、あの子の声を何かを通して再び聞きたい、触れたい、感じていたいなど、このような生命の本質に触れているような、簡単に答えの出ないような人智を超えた問から生まれた苦悩と痛みをスピチュアル・ペインと呼び、これについてのケアをスピチュアル・ケアと呼びます。 

以上が大げさではなく通常のペットロスでよく観られる特徴です。もちろん、個々に状況も受け止め方も違いますから悲嘆のカタチや経緯はひとそれぞれです。エピソードや症状が悲哀のプロセスの位相では顕著に表れたり、反対に弱まったりなどして各位相で消長することもあります。概して死別直後は、やり場のない怒りを含む情動的な悲しみであるのに対して、一定の時間経過のそれは、しんみりとした深い寂しさや行き場のない絶望感を伴う悲しみとなりやすいのです。この行程を経て回復期へ向かいます。

大切な愛情対象を失うのですから落ち込むのは至極当然で、病気や異常ではありません。悲しみに暮れることは、心が弱いからではなく、情緒的には正常な反応であり、悲しむべき場面で然るべき悲しみの感情が表れないときこそが異常ともいえます。

しかし、悲しんでいる自分を異常者か?または、病気なのか?と戸惑ってしまう飼い主も、そして周りの人たちも異常な反応として対応してしまう場合も多々あります。確かに、通常な状況ではないのですから、通常な反応をしているのは逆にかえって知性ある生き物としておかしなことなのです。死別の特異な状況下なのですから。この状態を「正常な病気」と呼びます。

喪失の衝撃に対する心的防衛機制(自己防衛本能)であったり、心の恒常的な均衝(平常心を保つ機能)が心理変化の適応的反応です。多くの症状はその目的に沿って適正に出現するするため、無理に抑え込むことは心と体の平穏を脅かしてしまうのです。結果、正常な悲哀の過程を妨げることとなるので、回復を遅らせ、異常な悲嘆を誘発しやすくなってしまうということです。

悲しみ方は人それぞれで、傍から見ると異常にとられる場合もあります。いろいろなエピソードを聞いたり、私自身も経験はしています。公共の場なので詳細は公開することではないので記載はいたしませんが。けれどいっとき異常に見えたとしても本人の中では至極当然の反応が表れているだけです。基本のプロセスをたくさんの方たちが理解していれば、あまりにも長引いたり悲しい方向へはいかないと思うのです。愛ある人間の知性があれば寄り添いながら悲しみと共存し乗り越えていけると思うのです。核家族化が進み動物への家族化、愛着化が増す昨今、動物の命も人の命も、亡くし悲しむ人にとってはかけがえのないものにかわりはありません。乗り越え、受け入れ優しい思い出になるまで、他の悲しむ人たちの心にも寄り添い自分自身も救われたい、エゴではありますがそんな気持ちでおります。

読んでくださりありがとうございます。

次回は「ペットロス症候群」について記載します。

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