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⑧症状を重くしてしまう理由

以下の要因があります。

①そのひとの性格によるもの                      症状を重くする人の特徴として、真面目で几帳面、責任感が強くのめり込みがちで献身的なタイプの方が多いようです。仕事面で云うならば、燃え尽き症候群になりやすいような...ペットで云うならば飼育を一生懸命、妥協せずに全精力を義務のように注ぎ込む...やらずには気がすまない、

そのような方が多いのでしょう。また、思考や行動に規律を重んじる傾向があり、柔軟に物事に対応する融通性に欠ける面も見られます。とかく気を使いすぎるため、言いたいことを言えなかったり、また、なにか悪いことが起これば、何でも自分のせいかも知れないと自責の念に陥りやすい面もあるようです。目標設定も高く、実現のために努力しますが自己犠牲となることもままあり、結果が得られないとまた自責の念...という悪いループにハマりやすいようです。ナーバス気質とも執着気質とも捉えられかねないこの気質は、日常のペットの世話のカタチにも随所に見受けられます。愛情深いのはもちろんですが、ペットと共に幸せに生きることに人生においての大きな意味や価値を見出しているところがあり、悪く捉えると傾倒しすぎている部分があるのです。また、こういう部分が強い場合、ペット意外との別れにも弱く別れという事柄の衝撃を受けやすく不安や恐れを感じやすいのです。そして、悲しみに対する感情を本人は意識していなくとも、抑圧したり、無理に考えることを禁じて違う面で感情を慰め、取り繕ったりすることで、益々感情の流出がうまくいかず、症状を重くしてしまうことも重々にしてありえます。悲しんで良い状況なのに、うまく感情を出せない、または、無理に出さないでいる方が想像以上に多いということです。そう、いわゆる気を使いすぎていたり、謙虚であったりとにかく愛すべき優しい心を人より多く持った方、そんな人が多いのです。

②ロスの体験                             ペットロスの体験が解決しないまま、長きに渡ると精神衛生上、やはり問題は重く複雑になるようです。前章でも記載しましたが、ペットの逃走による生き別れや、健在かどうかがわからぬまま、時間だけが過ぎてしまった場合など、気持ちの整理がつかないまま悶々と過ごす日々が続くわけです。  また、これはおそらく現在の私も患っているのだと思いますが、以前亡くした愛鳥の供養を済ませたものの、まだ、グリーフがケアできていない状態で、更にまた別の愛鳥を失くす...やはりペットロスの知識を深めるごとに、この状態は万年ペットロスに最も陥りやすい状況だと、更に自覚しています。最初の子も、その後の子も、違う命です。まとめて供養はできず、それぞれの死別をそれぞれ分けて悲しみのケアに取り組んでいかなければなりません。各愛鳥たちとの違った思い出があるわけですから、至極当然です。

また、これはとかくあることだと思うのですが、ペットと人の暮らしは密接に関連付けがあり、例えば家族の誰か(夫婦であればどちらか)がなにかの理由により、先に亡くなりくなり、伴侶を亡くした場合など、その悲しみでたちゆきできなくなり、その影響でペットも亡くなる...悲しいことですが実際に不幸の連鎖というこの状況は、よくある話だとのことです。離婚や転居、失業、失恋...その他これらのことでも、飼い主のメンタルや生活状態に変化が生じ、今までのようにペットの世話が充分にできなくなったりすることで、また、違う理由により不運にもペットの死がこれらのことと重なったりする場合は悲しみの度合いは更に重く深刻になりがちです。イレギュラーなライフイベントの多発により飼い主のメンタル面が著しく落ち込んだり、多忙すぎたり....様々な理由で正常な判断ができない...いわゆる普通の精神状態ではないのですから無理もありません。

また、もっと遡ると、飼い主さんの育ってきた生い立ちにも関連することが多く、母子関係など愛情の受け方による偏りや充分な保護が受けられず愛着に対する障害を持っている可能性も考えられるとのことです。もちろん、ごく一般的な家族構成の中で育ったとしてもそうなる可能性はあります。うつ病など精神障害などで、通院が必要な飼い主さんはペットロスの際、症状は重くなりやすいため、大袈裟ではなく自殺などのリスクも高まりやすく、周りの人間が注意を怠らず見守ることがとても大切なことなのです。

その飼い主さんの性格なり、人となりをある程度、理解しよくわかっているという人が周りにいるだけでかなり違ってきますが、初めてペットと暮らしはじめて、そのうちに初めてロスになった人も、経緯はわからずとも、ものすごく動揺し混乱する姿を見て初めて気づく場面も多いと思います。同じく細心の注意をもち、理解ある目で温かく見守ってほしいものです。

③死のイメージ                            ペットの死のみならず「死」全般を病的なまでに恐れたり、強く禁忌する人も、症状が重くなりやすいとのことです。誰でも死は怖いです。古今東西、それは大なり小なり人であればみな、持つ感情です。しかし、「病的に、異常に、極端に」死に対する恐れを持つ方には、過去の経験からなにか原因になっている事柄も多いと聞きます。幼い頃に、辛く怖いペットロス体験をした、とか、肉親の死にまつわる恐ろしい情景が脳裏に焼き付いているとか、なにかしらの恐怖体験を持つなどいろいろです。

とかくこのような飼い主さんは自分からペットに対する死についての話はしないでしょう。極端に、です。

これがある意味、マイナスに働き、死について蓋をしているため、実際に事が起きてしまったときにも考えたり、予期したり、死に対するイメージも受け入れる準備も全くできていないわけですから、受け入れない気持ちが継続しやすく死を否認したり、受け入れない状態が長きに渡り重い症状になりやすいのです。

この場合は通常のペットロスの経緯を辿るのも困難ですので、それ以前の死の受容を目標に、まずは死に対する恐れを軽くすること、死に対するあまりにも否定的なイメージを緩和し、生死観念の正常化をすることが、回復を早める鍵となることなのでしょう。

④ペットとの関わり方                         愛するペットと、どのように暮らしてきたか...どのような絆が育まれていたか...それによっても別れの時の悲しみの種類は変わってくるといいます。

前章で、チワワさんと暮らす友人の話を記載しましたが、この友人は自分のことも愛犬のことも同じくらい大切にしながら、傍目から見てもバランスの良い関係だなあ...と思いながら見守っていました。

自分は医療を受けなくとも、少しでも心配であればどんなに費用が高くとも、ペットには充分すぎる医療を受けさせ、自分の食費を削ってでも、ペットには健康的で質の良いものを食べさせる....など。

上記のことを友人もしているようでしたが、不思議と無理にしている感じではありませんでした。

なぜこの例を記載したかと申しますと、すべてにおいて、ペットを優先させる過剰なペットを中心とした生き方、生活をしている飼い主さんは、愛情というより、溺愛という言葉となり、愛しすぎという見方もされます。また、その愛情一点の対象を失くせば喪失感は他人の想像の枠を軽く超えるものとなり言葉もかけられないほど深く悲しみの底へいってしまうとのことです。ペットとの距離が極端に近く、更に他の世界をシャットアウトしてしまっている人は、特にこの傾向が多く、すがるものを失ったがために心の拠り所に迷った結果なのだと思います。また、可愛さや愛おしさが募り擬人化のような心理状況がおこり、うちのこ、が、我が子、になっている場合も多々あります。これは悪いことではありません。しかし、我が子を亡くした親の気持ち同様なものだというのは簡単に想像がつきます。

ここまでで、私は以前、その友人を観てきましたから、きっとやれるだけのことを精一杯やって、その甲斐性ゆえ回復も早かったのだな、一緒に生きた時間も最期のケアも、満足ゆくまでのことができて、手をかけてあげることは、ペットのためでもあるけれど、飼い主のためでもあるのだな、という気持ちでおりましたが、重要なのは関わる時の、ペットと人間の関係性にあるのかな、とも思いました。友人は愛犬さんのことはもちろん、溺愛か?と思えるほど大切に可愛がってはいましたが、他にも興味の扉は開いたままでした。好きなこともやりたいことも、仕事も友人関係も制御すること無く、ペット一色の人ではなかったのです。....バランス。なにごともそうなのかも知れませんが、関わる人間側の心持ち....。それがいちばん重要なのかな、なんて思っています。

⑤最期の時                              末期のとき、亡くなる時のペットをこんなはずではなかった...という状態で看取った飼い主さんは、回復が遅れやすいのだそうです。

常日頃から、飼育管理に熱心で、ある程度、自信を持ってペットと向き合っていたとしても、最期のその時が本意でない亡くなり方をさせてしまった場合の悲しみは深く重いものになるようです。いくら自信があり、誇りを持って接していたとしても、それまでの自己イメージが失われるどころか、失敗、後悔、挫折の波が押し寄せ深い悲しみに包まれます。

満足のいく別れとはどんなものなのでしょう。             実際にはそんなものはないと思うのですが、敢えて言うならば正常に年齢を重ね加齢により老衰で穏やかに...それが一般的な理想であり、それは人でも動物でも変わりありません。まあ、それは人間側の倫理観に基づく感情ですので、動物たち自身は本当はどうなのかはわかりませんが。       穏やかに看取りたい...それが多くの飼い主さんのせめてもの願いだと思います。しかし、現実にはそのようにならないことも多く、病気の発見が遅れ手遅れに...事故である日突然...原因がわからぬまま亡くなった...など、理想とはかけ離れた現実を突きつけられることも多々あるのです。

準備ができていない飼い主さんは衝撃と悲嘆の感情が渦巻いてひどく混乱するはずです。そして、たとえ、安らかに自宅で看取れたとしても、屍を眺めながら、なぜもっと早く病院に!他になにかできることがあったはずだ!などと自分を責めてしまうなど、後悔の念、葛藤からは逃れられないようです。また、死因が不明の場合は、最期に看取った医療関係者に非があるのではないか、など、自責の念からの現実逃避の方向へ行ってしまう場合もあり、ペットロスの内情は複雑さを極めるものもあるのです。       正常ではない行動や心理状態ですが、ペットロスという症状の上で申し上げれば、これらはごく自然な症状現象だということなのでしょう。

⑥亡くなった時の対応                         ペットとのお別れの後、どう過ごすか、その対処の仕方によっても悲しみの度合いは大きく影響を受けるといいます。

いままで、まるでペットロスは問題だ..と誤解を招きかねない内容を綴っていなくもないかも知れませんが、起きることは自然の摂理上、いたし方なく、考えなければならないのは病的な重症化、そしてそれにとまなう不幸の連鎖が心配なのです。そして、それを重症化させる原因に本人と周りの人の理解不足というのがあると思うのです。

悲しみのプロセスを他者が無理に励まし止める、長きにわたる悲嘆の感情を本人も異常?と疑い始めた矢先に、他人が疎ましく指摘したり叱咤激励のような物言いをして、悲しみの過程を阻害するような言動をする、など、実は人によってグリーフケアが憚られている可能性も重々にしてあるのです。 これにより本来のペットロスの他に人による違う苦しみが人偽的二次苦悩が加わるという悲しい現実です。

そして、社会との関わりが希薄で、現実的に孤独な飼い主さんも、ペットを失った悲しみとたった1人で向き合わなくてはならない現実があります。 手厚い配慮が必要なはずです。この場合の拠り所としてあるべき場所は、 ペット葬儀社やペットロス関連の活動家だと思います。私も真似事ではなく将来的に微力ながらお話を聞くくらいの器にはなっていたい者ですので、 今後も学んでゆきたいと思います。

飼い主さんの中には、ペットのご遺体を観たがらない方が一定数おられるとのこと。これは、現実逃避で現実味の欠如により、死を受け入れられない一因とされるため、無理強いはしなくとも、なるべくきちんと向き合ってお別れをするべきなのだそうです。 人とのお別れもそうですよね。愛した対象です。悲しくても辛くてもなるべくしっかり最後の姿を看取ってあげるべきなのかも知れません。そして口に出してお別れの言葉をかけてあげられるとよいですね。


今回も大変長くなってしまいましたが、                読んでくださりありがとうございます。

次回は「⑨助けが必要な飼主」を記載します。

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