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⑤ペットロス症候群

愛おしい伴侶動物の命との別れがあり、失った直後から病的なまでに悲しみが重かったり長期に渡ったり、ごく定型的な経過をたどる悲しみの症状の中でも、とりわけ重い症状をペットロス症候群と呼びます。

悲嘆の症状は亡くなった子と飼い主との関係性、飼い主の愛情のカタチ、その他様々な要因から個人差もあるので一概には言えませんが、正常なごく普通の悲しみの過程を経て進んでゆく範囲であるならば、薬物治療や治療的なカウンセリングは必要ありません。

ですが、どの程度で治療が必要かどうかという定義は難しく、先に記載したとおり個人差あるゆえ、病院を頼り治療を求める患者さんの症状の軽重は測り知れないものです。自己回復力が低下し、既に自力で回復することが困難となった方は、最初は通常の悲嘆でも病的な症状に進んでしまっていることはよくあることです。

先の章で私も、自分の愛する鳥たちが亡くなり、悲しいのはあたりまえで正常な反応なのだから、毎回しっかり悲しんで、時を味方につけながら思いを昇華し立ち直ろう...のようなことを記載しましたし、今でもそうは思っているのですが、ペットロスの書を読み進めているうちに、そんな単純は事ではないと改めて理解しました。同じような物語や同じようなペットとの関係性、同じようなシュチュエーションでその子を亡くしたとしても、悲しみの度合いや有様は多岐にわたり様々なのです。なので、軽く「悲しいのは必然であたりまえの反応であり病気なわけではない」「悲しいのは異常ではないのだからペットロス症候群なんてものは存在しない」というような見方は危険なのかもしれません。ペットロスのすべてが通常のものだけであると間違った認識をしてしまうと、精神面に配慮すれば重く拗らせてしまったペットロスを自力で回復するよう努めても、既に精神破綻寸前でかなりの苦しみを感じていた場合、匙を投げられたも同然、悪い言い方をすると軽くあしらわれてしまったことにもなりかねません。誰にも頼れないまま状況は悪化し、正常範囲内だったにも関わらず刻一刻と重症化してゆく可能性もあるからです。眠れない、起きれない、何処へもいけない、など日常生活に支障が出てきたり、うつ症状に拍車がかかることにもなり得るわけです。

また、一部の動物に関わる活動をしている方の中にも、ペットロスはなってあたりまえなのだから、必要以上に落ち込まずしっかりするよう促したり....↑実は私はたくさんの鳥達と暮らし、何度かの別れを経験するうちに良いか悪いかのジャッジは別として、確かにある種の「慣れ」が自分の中にあるのかも知れないと...少しドキッとしました。その死に対する「慣れ」はグリーフケアの一環の症状なのかもしれませんし、逆に足止めをくらっているのか...時々自分でもよくわからなくなる、というのが正直なところです。良くも悪くも人によっては軽めに扱いすぎるなどの弊害として、必要なケアが施されず、また、当事者のみで回復ができず悪化した結果、危険な状態にまで追い込まれることもあるのだそうです。

私個人の心持ちとしては、愛鳥が亡くなったその時は困難でもひとりで静かに受け止めて、時期が来たら周囲にも共感を求める傾向が強いのではないかな...と感じています。もしかすると、共感の求めがうまく出来ていないゆえに、なかなかペットロスにとらわれがちになっている感は否めません。

可能であるならば、ペットが亡くなる直前や直後にひとりで受け止められるのならばそれも正常ですが、もしも日常生活にあまりにも弊害がおこりやすいまでに悲しみが深まりやすい人は、周りの共感を得られやすい人に思いを語る、又は語る心の用意をしておくなど、それとなく準備しておくことは重要なことなのかも知れません。人に話すこと、聞いてもらうこと、共感を得られることなどにより、大概の方はカウンセリング等の必要もないまま回復するという例が殆どだからです。

これにより、動物葬儀者や動物専門者の方々は対象となるペットの飼主さんへの心のケアはペットにその予兆が表れ、近いうちにその時が来るかも知れないと飼主さんが仄めかすのであれば、ペットレスの正常性、グリーフの経過過程、正しい対処(悲しんでいい、思い切り泣いていい、異常ではない)ことを、丁寧に押し付けにならないようにお伝えし、潤滑なグリーフケアに導くことが望ましいとされています。泣く、嘆く、などの通常の悲しみの行為は心の赴くままにすればいずれはきっと回復にはつながります。

しかし、ただ、ただ悲しみを抑え込むことに執着せずに、充分に放出してくださいと言いっぱなしなだけでは、個人では計り知れないグリーフの質というのがあるわけなので、あまりにも悲しすぎて辛く、苦しく、対処が難しいようならば、我慢をせずに病院やカウンセラーを頼る道筋も選択できるような対応がベストなのでしょう。

私も今後、たくさんの家族である愛鳥との別れがあるでしょう。「慣れ」ではなく、心のあるがままに、毎回、きちんと悲しんできちんと感じて、情緒的にも倫理的にも社会的にも歪みのない、正常なグリーフケアを学んでゆきたいと思います。命あるものと暮らすとはいうことは、そういうことなのだと感じています。

今夜も読んでくださりありがとうございます。

次回は「⑥ロスと症候群の違い」を記載いたします。


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