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⑥ロスと症候群の違い

ロスと症候群は似ている、若しくは同じ意味と捉えがちですが、同じではないようです。大きく分けてペットロスの一部に症候群が含まれていると考えたほうが良さそうです。専門家の言葉の使い方により、誤解が生じやすいのも事実ですが、分けて捉える必要性は、ペットロスを深く理解する上では欠かせないものです。喪失による悲しみの体験、いわゆる「グリーフ」は精神医学や心理学の中で悲嘆時に現れる様々な容態や出来事の呼び名として症状や症候群といったような医学用語として使われてきました。

前章などでも何度も記載していますが、愛する存在を亡くした飼い主に訪れる、通常の誰にでも起こりうる悲嘆の症状、そして、ある時期を過ぎれば徐々に回復してゆく症状、それがペットロスで、それに対し、悲しみの質も長さも経過の仕方も深く長く、複雑で自己回復ができない...様々な症状が心にも体にも表れて、普通に生活ができないほどになってしまう飼主さんも多々いるということです。この状態がペットロス症候群なのでしょう。

「愛するペットと暮らす」という行為と同時に、飼い主には人生背景があり、ペットが心の拠り所になっている場合も多いと聞きます。核家族化や子供を授かることができなかったご夫婦、晩年、パートナーに先立たれひどく寂しい思いをしている折に、動物の家族を迎えたことで、嘘のように寂しさから解き放たれた年配の方など、そのペットに対する愛情や絆の深さ、関わり方は個々に違います。悲しいことに悲しむ情を感じることもないほどに冷酷になんの愛情もかけずにペットと暮らす方も中にはいるのでしょう。ペットに対する価値観が人により違うということも、一筋縄ではいかない、複雑さの原因になっているのだと思います。本当に人の数ほど、飼われているペットの数ほど、その背景には多岐にわたる物語が存在しています。自分にとって大切な愛おしい命を無くすという意味では、本当に人であれ、小さな動物であれ悲しみには差はないのだろうな、と思います。

私は昭和の時代の人間ですが、一昔前は経済活動が著しく、老若男女、すべての人が目まぐるしい社会で絶えず「なにかしている」イメージでした。仕事であったり、学業であったり、趣味であったり...たくさんの関心事の一部にペットが居る...そんなふうに感じている社会なのかなって思っていました。とかく仕事に関しては、なかなか休めない雰囲気で、身内の(人間の)弔事などはもちろん休んで行くことができましたが、ことペットが亡くなったので...とは、なかなか言い出しにくい雰囲気の社会だったように思います(私の周りだけだったのかも知れませんが)しかし、今は違います。ペットとの関わり方が昔よりも更に個対個になっているような気がします。実際に小鳥を1羽亡くして、その悲しみの事実を思い切って打ち明けますと、予想以上の共感と、そんな時はお休みしてお弔いをしてくれていい、と、同僚だけでなく、上司にまで言っていただけたものです。人同士の関係は、それこそ人により、希薄になっている感が否めませんが、こと、ペットの死となると、だいぶ重大ごとと認識されてきているのかなあ...と思えるようなエピソードが何件もありました。心のなかでは、「たかがペットで仕事を休まれたらたまったものじゃない!」と言い出しそうなキャラの方もいないでもなかったとしても、そんな薄情なことを言い出せない雰囲気が、今のこの国の社会にはあるように思います。ペットの弔いごとを尊ぶ...多数派になってきているのかも知れません。

今はなき、志村けんさんのペットの番組やペットのグッズ、SNSでの交流、ペットのイベントなど、ペットと人を繋ぐきっかけは多様になり、私は鳥好きなので小鳥に関わることが多いのですが、小鳥だけでも様々な人と小鳥との関係性が豊富に存在するのが現在です。「可愛い」にとどまらず、人と人を繋いでくれている命たちもたくさんいてくれるのです。

心の拠り所を失い、その存在が飼い主にとって、生きがいになっていたとしたら、大げさではなく、精神に異常を来すのはごく自然の摂理です。その場合もその飼主を取り囲む人間関係や社会的な居場所により、周りの反応も変わってくると思います。重症化するかしないかは、飼い主の性格や経過の仕方もあるとは思いますが、やはり周りの理解度や対応によるところも大きいのではないでしょうか。ペットロスとペットロス症候群、どちらの方も一定数は存在しますし、通常のペットロスの方が、ペットロス症候群に移行して重症化していかないためには、やはり多数の方が悲嘆のプロセスを理解し、愛をもって命に向き合い弔いの過程を見守ってあげることが何よりも大事なことなのだと感じます。そして、ひとりでは整理しきれなくなった場合は、躊躇せず迷わず専門家の力を借りることも大切です。重症化したとしても、それはやはり、治療は必要なのかも知れませんが、異常なことではないのですから。

長くなりましたが、今回も読んでくださりありがとうございます。

次回は「⑦病的な悲しみについて」を記載いたします。

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