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⑦病的な悲しみについて

ここまで記載してきました、ペットロスからくる精神障害の件ですが、以下を「ペットロス障害」と称して記載していきます。

★ペットロス症候群→重い急性悲嘆

★慢性ペットロス→ペットを失ったことが原因となる慢性的(長期に渡る)な悲嘆

★仮面ペットロス→ペットを失ったことが原因となる仮面悲嘆反応、不審な動きや身体的症状に転換されてゆく悲嘆

★遅延性ペットロス→ペットを失ったことが原因で時期外れに訪れる悲嘆

★ペットロスうつ病→ペットを失ったことが原因で現れる抗うつ症

★ペットロス恐怖症→ペットの死に対する恐怖症状、喪失恐怖症、ペットはいつかは別れが訪れるからと頑なに飼わないと言う、日常普段にペットの死について別れについて反応しすぎてパニックを起こす人など

★重いペットロス予期悲嘆→高齢になったり、末期患者となったペットに対して別れを予感して嘆き悲しみ混乱する

★悲嘆のないペットロス→悲しみを閉じ込め、気持ちに蓋をする。正常に見えるが、何かのきっかけで上記の症状たちに移る場合がある。

ペットを亡くされた飼い主の中でどのような割合で重症者、病的な悲嘆を抱えているかということは各分野の専門家の方々がデータを出していますがこちらでは割愛し、今後もペットと暮らす人口が増え続けることと比例して、ペットロス予備軍の方々も増え続けると考えます。

いろいろな社会背景、その方の人間関係、性格、環境、そしてペットとの関わり方、価値観により一概には言えることではないですが、なにか、元々の精神的問題を抱えていたとしても、ペットを失うことが原因で症状が怒涛のごとく表れてくることも多々ありえるのですから、たかがペットロス、と認識してしまう人の割合が多ければ多いほどケアが成り立ちにくいので、結果、重症化してしまう方も増えるのではないかと思います。

個々の悲嘆の度合いを他人には計り知れないのですから、悲嘆者には思いやり、細心の注意を持って接するべきだと思います。

友人の話を例に出しますが、12年間一緒に暮らした愛犬、チワワの女の子が、数年前から癌を患い何度かの手術や通院をしながら、最後まで看病し、看取った話です。その彼女と出会った頃には、もう病気が始まっていて、通院しながらケアをしている段階でした。病気になった初期は気が狂いそうだったと嘆いてばかりいたそうなのですが、看病を続けるうちに、健康だった頃の可愛さはもちろん、ある意味また一味違う愛おしさがこみ上げてきている様子でした。通院や、毎日のケア、金銭的にも本当に大変なことだろうなあ...と傍から見守ることしかできていませんでしたが、ご本人を観ていると、大変なはずなのにどのように大変なのかを語る口調が、悲しみの感情とは違うのです。元気だった頃の写真も愛おしいものを見せるように私にも見せてくれて、いかに可愛かったかを語ってくれました。慈愛の悟りに入っているのかな、と感じました。あとは、きちんと手をかけて世話をしているという事実に心の拠り所というか家族としての「軸」が強靭になっている印象です。明らかに今までの思い出を思いながらその子を看病することが彼女の生きがいになっているように感じました。ご夫婦で助け合いながら、懸命に看病している様子で、私と遊びに出かける際も、〇〇ちゃんが待っているから、と、決して夜遅くまで遊ぶこともありませんでした。このご夫婦はお子さんに恵まれず、我が子のような存在なのだと、口にこそ出しませんがそんなニュアンスのことも話してくれました。

彼女はペットの病気をきっかけにペットロスの勉強も始めたり、動物愛護の活動も始めていました。そんな中でおつきあいするうちに、いろいろな同じ状況の飼主さんとも交流を深め、前向きにペットの病気といつか来る別れに対して備えているように見えました。

ここまでで、おわかりだと思うのですが、人間の家族だったり、友達だったり大切な存在の病気や事故、そして別れる段階までのごく一般的な流れとすごく似ているのですよね。

いよいよ、死期が近づき、看病に専念したいとのことで仕事もお休みするようになりました。常日頃から、あまり弱音を吐くタイプの人ではなく、状況の説明はしてくれますが、もしも、その時が来た時は、私だったらそっとしておいてほしな...と言ってましたから、お悔やみのメールのみして、あとは回復して戻ってきてくれることを待ちました。

喪中はお会いしていないので、状況はわかりませんが、数週間後に元気に戻ってきてくれました。どんな最後だったか、どんな気持ちだったかを、淡々と話してくれました。すごく道徳的で人間らしいお弔いをされていたので、ご本人も出来る限りのことはやったという、気持ちはあったのだとは思いますが、それでもまだ、後悔の念のようなことも口にします。

なので、彼女が愛犬に対して、あの時はこんな状況なのにここまでしてあげていた、あの時もこんな難儀な時間だったのにこんなことしてあげていた、本当によくやっていて、すごいって思ってた、〇〇ちゃん、本当に幸せだったね、と声をかけることしかできませんでしたが、心底そう思いました。

時折、まだまだ不意に悲しみに襲われている時もあるようですが、あきらかに回復しています。彼女はペットロスのプロだと思います。やるべきことを心のままに実行し、気持ちの流出の度合いも自分で整理できる域まで、理解しているのだと思います。

それに比べて、まだ私は上記項目を行ったり来たりしているようで、情けない限りですが...マニュアルはないこと、悲嘆のプロセスは道筋はわかっていても人それぞれだということなので、焦らず、それでも表向きは正常に生活できているとも思うのですが、おそらく一番下の悲嘆のないペットロスの要素も色濃く持っているのではないかと、自己分析しています。私も上記の彼女と同じように、愛鳥との別れに直面した時は、自己回復するまで、そっとしておいてほしいタイプだ、と認められたのも実はつい最近なのです。一筋縄には行きません。行くはずがありません。

それでいのだと思います。そういうものなのだと思います。


今回も読んでくださりありがとうございます。

次回は「症状を重くしてしまう理由」について記載します。

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