何もしなかった日
ベッドの上でごろごろしているだけで1日が終わった。
アラサー特有の(?)年齢に伴う焦燥感に駆られながら、キラキラしたSNSを眺めていたら時間が過ぎていった。
遅くに寝て、そこそこの時間に起きて、二度寝して・・・
やらなきゃいけないこともやりたいこともたくさんあるのにと思いながら
ただ虚無な時間が流れていく。
ふと今日は何歩歩いたのかとスマートフォンの歩数計を開いてみたが、あまりにも歩かなさすぎて今日のデータが何もなかった。
どこを見ても表示が昨日までで止まっているので、少し悲しくなってアプリを閉じ、またSNSの沼へと溺れていった。
思えば、最近の休日は頑張っていた。
図書館へ行って調べ物をしたり、友人と出かけたりと出不精の割によく外出していると思う。
友人とお茶をしながら、友人から同棲する報告を受けたりプロポーズの話を聞いたりして、これが年齢を重ねるということかと真っ当に衝撃を受けた。
自分が体験していない話をさも当然全員体験している話かのように続ける友人たち。
同じ年だけ生きているはずなのに自分だけが20代前半で置いていかれているような気がして、友人たちを眺めながらこれが世の中のアラサーの標準なのかとすら感じてしまっていた。
それに対して恋愛も結婚もあまり興味がないのにその対象になる相手がいないことに焦る自分がいる一方で、そんな自分の思考に思わず『これ、メディアで読んだことあるやつだ!』と冷静にツッコミながら本当になるんだなとその体験に感動すら覚える自分がいた。
帰ってから放置していたマッチングアプリを開いてみる。
自分も出会い目的(というかそういうアプリなのだから当たり前なんだけれど)
なくせに、なぜか並ぶ顔写真に嫌悪感を抱いて、そっとアプリを閉じる。
いいね!がついたという通知が届いて、またアプリを開く。
相手方のプロフィールを眺めながらどういう人なのだろうという気持ちよりも先に『この人は私の何をどう思っていいね!を押したのだろう』ということが気になってしまう。
これは自分に自信がない現れなのか、自分に恋愛感情を抱く人なんているわけがないという思考なのかと聞かれるとわからない。正直どっちもあるし。
自分のことが嫌いなくせに自分に対して甘ちゃんである。
だから痩せたほうがこの世界楽しく生きられるとわかっているのにそれすらできないでいる。
自分を好きになれない。だから好意を抱いてくれる人を信用できない。
そんなループから飛び出せる日がいつか来るのだろうか。
それは自分の行動でしか変えられない。
そんなことをぐるぐる考えながらベッドの上でぼーっとする休日。
最近はずっと働いて、遊んでといっぱい動いてたし
今日くらいはこんな日でも許されると信じている。
・・・明日からまた頑張るから今日くらいは許して。