日記でもないもの 9/11 陰謀論が怖いという話
はじめに
最近、他人の視線を意識しない文章が書きたいなぁと思い、人に見せない日記を書き始めた。
でもそういった文章を書いていると、逆にこれは人に話したいな、と思うような話もいくつか出てきたので、これからは時たまそういう事柄を「日記でもないもの」というタイトルでnoteに書いていこうと思う。
続かないかもしれないけど。
マンデラエフェクト系の陰謀論が怖い
マンデラエフェクト系の陰謀論が怖い。この種の陰謀論で語られる内容が怖いのではなく、「マンデラエフェクト系の陰謀論」そのものが怖い。たまに間違って読んじゃうと、恐ろしい感染症の病原体を鼻先に突きつけられたような気分になる。マンデラエフェクト系陰謀論が怖すぎて、最近はネルソン・マンデラ氏そのものまでちょっと怖いくらいだ。
何でそんなに怖いかというと、マンデラエフェクト系の陰謀論は、他の陰謀論と違って、ともすればうっかり自分もハマっちゃうんじゃないかというような怖さがあるからだ。(もちろんどんな陰謀論だってハマっちゃう可能性はあるんだけれど、マンデラエフェクト系は別格のハマりやすさだと思う)
例えば漢字の画数に関するマンデラエフェクト系陰謀論。
具体的な文字の言及は避けるが、「とある漢字の横棒が、自分の記憶だともう一本多かったはず」というやつ。
言われるとそうだった気がしてくる。
確かに俺は小学校で横棒を3本書いていた……そんなありもしない記憶が蘇りそうになる。
結局僕は自分の記憶違いを認めて、「この漢字は横棒2本なのだ」と強く信じて生きていくことに決めた。
そうしないと、自分が漢字の横棒が3本の世界線から2本の世界線に遷移しただとか、闇の組織が漢字の横棒を一本減らしただとか、そういうあり得ない世界観を信じて生きていかなくてはならなくなる。そういった信仰を持って生きるのは、とても生きづらそうだ。
でも時々、「やっぱ3本だったよな」なんてふうに思ってしまう瞬間がある。そんなとき僕は、自分が陰謀論にハマるかハマらないかの分岐点に立っているような気がして、とても心許ない気分になる。
こんなふうに、マンデラエフェクト系陰謀論は、それを聞いた人間の記憶に密着して、その人を陰謀論の沼に引き摺り込んでしまう性質がある。
これが漢字の画数くらいならいいけど、もっと自分の記憶に強く刻まれている物事について同じような食い違いを見つけてしまったとき、僕は果たして自分の勘違いを認めて生きていくことができるのか。それを考えると、僕は自分が薄氷の上を歩いているように思えてくる。
杞憂
昨晩も、僕のそういった不安を強く刺激するような出来事があった。結論から言えば僕の単なる勘違いで、特に何の問題もなかったのだが、最初この事態に直面した時には、「ついに自分が恐れていたものが来たか」と本気で恐怖した。
昨晩9月10日、僕はなぜか日付を1日勘違いしていて、その日を9月11日だと思っていた。
9月11日といえば、忘れもしない9・11アメリカ同時多発テロの日付だ。
世間はエリザベス女王やコロナの話で忙しいけど、どのくらい多くの人が昔の悲惨な事件について話しているんだろうか、僕はそんな野次馬根性で、Twitterで「9・11」と検索してみた。
僕は9・11に関する特集記事とか、この事件に怒りの声を上げる人とかがヒットすると思っていた。でもヒットしたのはうどん屋のキャンペーンツイートだった。
あれ?と思ってスクロールしてみたが、出てくるのはキャンペーンツイートばかり。いくら二十年以上前の事件だからといって、9・11当日に、こんなに誰も事件について話していないことなんてあるのか?と僕は不審に思い、そして普段から不安に思っていた事態がついに目の前に現れたかと思った。
「自分の記憶に強く刻まれている事件の詳細が、現実と食い違う」
瞬間的にヤバいと感じた。
もし今「アメリカ同時多発テロ」とGoogle検索をかけて、9・11以外の日付が出てきたらどうしよう。自分はそれを受け入れられるだろうか。自身の記憶違いを受け入れられず、「俺はアメリカ同時多発テロが9月11日に発生した世界線からやってきた!」と主張する人間になってしまわないかと本気で恐怖した。
結論は最初に書いた通り、完全なる杞憂だった。僕の単なる勘違い。Google検索結果には、ちゃんとアメリカ同時多発テロは9月11日と書いてあった。Twitter検索で9・11がヒットしなかったのは、ただ単に僕が日付を勘違いしていたからだ。二十年以上前の事件の1日前に、その事件について回顧する人間はあまりいないらしい。
僕はホッと胸を撫で下ろした。検索で違う日付が出ていたら、僕はきっとマンデラエフェクト系陰謀論者にならざるを得なかっただろう。
でも同時に、マンデラエフェクト系陰謀論への恐怖も増した。今回は単に自分が日付を間違えているだけで助かったが、もしかしたら、自分の中には9・11の日付と同レベルで強く信じている勘違いが存在しているかもしれない。
いつかそれを掘り当ててしまったとき、僕は正気でいられるのだろうか。それを考えると、僕はやっぱりマンデラエフェクト系陰謀論が怖く、完全なとばっちりだけど、ネルソン・マンデラ氏の微笑さえもちょっと怖く感じてしまうのだ。
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