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願いの根本で響き合えば、意見の壁は越えられる。

大きな目的は同じだが意見が違う者同士の対話を促し、同じ方向性を共有するにはどうすればよいか。

まず、「大きな目的」に深く共感していなければならない。


例えば、よく会う友達3人でお昼ご飯を食べに行くとき、Aさんはカレーが良くて、Bさんはラーメンが良いと言っているとしよう。

AさんとBさんの間にCさんが介入し、「Aさんがカレーを食べたい根本的な理由はスパイシーさを味わいたいからで、Bさんがラーメンを食べたい真の理由は麺とスープや具材のコラボレーションを楽しみたいからだよね。だから、それらの深い理由を満たす新たな選択肢は『広島焼』だ!」みたいなことには、ならない。

「じゃあ今回はカレーにして、次はラーメンにしようか」と、なんとなく落ち着くところに落ち着くはずだ。
それは、「お昼ごはんを食べる」という目的に本質的な重要度があまりないからだ。

では、重要度が高い場合はどうか。


例えば、進路に悩む子どもとその親を考えてみよう。
母親は、安定した職業についてほしいと思っている。
子どもは、NGOで貧困国の農業支援を行いたいと考えている。
父親は、子どもの選択肢を尊重したいが、派遣される国の治安も心配だし、金銭的な支援が必要となった場合、それを行えそうもないのも不安だ。

さて、どのように3人の意見を同じ方向にできるかを考えてみよう。


まず、大きな目的を確認してみよう。
父は、母が安定した職業についてほしいと思っているのはなぜかを聞いてみた。
母は、自身が幼少期にお金があまりない家庭で育った経験から、お金に不自由しない生活を手に入れてほしいと強く望んでいることを話してくれた。

父も、なぜ自分が子どもの選択肢を尊重したいかを話した。
それは、自分が子どもの時に親から進路だけでなく、日常のこまごまとした場面までも指示や制限を受け、非常に窮屈な思いをしたからだった。
やりたいことにチャレンジすることができなかった過去を、少し後悔していることを話してくれた。

この話を受け、母も自分が幼い時、金銭的な理由からやりたい習い事をさせてほしいと言い出すことができず、それが理由なのか、その習い事をしている友達とケンカしてしまったことを思い出した。

母と父は二人の共通する部分を考えてみたところ、大事なのは「自分で選択できること」、「幸せに生きる」ことだということがわかった。

母と父の願い:「子どもが自分で選択した人生を幸せに生きること」


しかし、子どもが希望する、「NGOで貧困国の農業支援を行う」という道を進ませるのは、「派遣先の治安の悪さ」、「いざという時に経済的支援ができない」という問題があった。

そこで、子どもがなぜ「NGOで貧困国の農業支援を行いたい」のかを聞いてみた。

まず、NGOで働くこと、貧困国を支援すること、農業支援をすることのうち、どれが特に重要なのかを聞いてみた。

すると、一番重要なのは農業支援であることがわかった。NGOが、貧困国の農業支援を行うというストーリーは、かつてドキュメンタリーで見たものに影響されているようだ。

また、そのストーリーで子どもの心を捉えたのは、「特定の地域で農業を興すことで、その地域を豊かにすること」だった。

それを踏まえて調べてみると、日本でも過疎地域における農業の発展を支援し、地域興しやブランド農産品の生産に取り組んでいる企業を見つけた。

この企業は今の住まいからも遠くなく、都心に住むわけではないので、いざという時は家賃の仕送りくらいはなんとかなりそうだ。収入はそこそこだが、販売しているブランド農産品の売れ行きが良く、今後の見通しは悪くなさそうだ。

結果、めでたく子どもは自分の望む道に歩み始めた……

いかがだろうか。
このストーリーでは、「子どもの進路」という、本人にとっても親にとっても重要ではあるが、それぞれの立場が分かれるトピックを選んでみた。

最初に表面化していた3人の要望では、うまく折り合いをつけることが難しそうだった。
しかし、1人ひとりが、「本当に望んでいるのは何か」に目を向けたことで、「大きな目的」にそれぞれの思いを揃えていくことができた。

冒頭の繰り返しになるが、ポイントは「大きな目的」の重要性、それに対する深い共感だ。

「今日のお昼ご飯」の目的は、「よく会う友達3人で美味しいものを食べて、良い時間を過ごす」といったところだろうか。
もちろんそれも重要だが、人生に何回もあることなので、相対的な重要性も、一回一回に対する思い入れはそこまで高くないだろう。

一方、「子どもの進路」を選択する機会は限られている。
子どもにとっては自分の「生き方」のことだし、親にとっては、「子どもが自分で選択した人生を幸せに生きてほしい」という重大な願いがある。

目的が重要であるほど、その目的に共感する度合いが大きくなる。
目的に共感する度合いが大きいほど、たとえ立場が違っても、同じ目的を目指して連携することができるのだ。

お昼ごはんの件でも、友達同士で「協力」はするだろう。しかし、目的が重要であるほど、異なる立場同士の行動は「連携」によってつながる。
連携が「かけ算」の効果を生みだし、目的達成への強力な推進装置となるのだ。

しかし、目的が重要であるほど、意見の相違は深まりやすい。
目的が重要であるほど、この点は課題になる。

この課題を解決する鍵が「対話」だ。


意見の溝を埋め、異なる意見を同じ向きに揃えていく。
そして連携し、より良い現実をつくり出す。

この連携を生み出すのが「対話」だ。

重要な目的には、強い願いがつきものだ。
その願いを丹念に解きほぐし、こちらを繋げ、あちらを繋げを繰り返し、目的を達成するための「全体」をつくり出すのが対話だ。

私が、難しい現実を変化に向けて行動するときに「対話」を重要視する理由はこれだ。

こういった役回りは、いわゆる「コーディネーター」や「ファシリテーター」という名称がつきやすい。

コーディネーターやファシリテーターを専門とする仕事はまだまだ少ないように思うが、むしろ誰もが「コーディネーターとしての自分」や「ファシリテーターとしての自分」を持つことが重要だと思う。

「個」と「全体」の媒介になる人が増えれば増えるほど、すでに社会にある仕組みもうまく回るのだから。


●書き手 綜一
滋賀県庁職員。児童虐待・児童養護施設を担当時、行政の重要さを実感。意欲的に仕事をした結果、「あなたみたいな人が県庁にいて本当によかった」と幾度か言っていただいた。その経験から、県庁職員も県民もハッピーになれる働き方を模索し始めた。施設担当時作成したインタビュー記事「Sai」も掲載 

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