大学を卒業する頃になんとなく決めていた目標が達成に近づいていたり、趣味なり友人なりを通してハッと気づくことがあったりして、自分のコアについて考える時間が少し増えてきた。その過程で今日、「教える」「育てる」のキーワードを、ふと、web検索にかけてみた。

「教える」…知識や技能を身につけるように導く。(自分の)知っていることを告げ示す。

「育てる」…一人前になるまでの過程をうまく進むように、世話をやき助け導く。

私なりにかみ砕くのであれば、「教える」は”自分”の持つものを授けることで、「育てる」は“相手”の自立を目指し促すこと。音楽教育に携わる者として、この違いを念頭に置いていたいし、両方を大切にしたいと思った。

でも、まさか私のような人間には、教え授けられるようなものも少ないし示せる道もまだ少ないからこそ日々研鑽を積むのみだし、感覚的にも、音楽で未来をともに育むスタイルのほうがしっくり来るような気がしている。

そもそも、いまの生き方に踏み出す以前には、中学・高校の教員を目指していた。それは、自分の高校時代が楽しかったおかげでもあるし、部活動の指導をしたかったからでもあるし、思春期の子たちの悩みに立ち合いたいと思っていたためでもある。大学を選ぶとき、両親や恩師には、幼児教育や初等教育のほうが向いている性格なのではと言われた——実際、幼児や小学生を相手にするレッスン業は楽しくてやりがいがある——改めて、自分はどんな講師になりたいのだろう。

約4年前から受け持っている子たちも、だんだんと大きくなって、中学生・高校生も増えてきた。音楽の道を志す子も、そうでない子とも、「受験」の話をすると感慨深くなる。「ピアノの先生」というのはひとりひとりの生徒と長く付き合っていける職業でもあるので、また良い。

成長過程に立ち会う大人のひとりとして、責任を感じる場面もある。そこがこの仕事のやりがいだ。


話は最初に戻って、近頃「自分のコア」というのを見つめ直している。

強みとか長所とか、自分がどう貢献していけるのか、どんな世の中にしていきたいのか。

私は、音楽を通して、できるだけ多くの人と関わっていきたいのだと思う。

別にピアノでなくても音楽でなくても良かったのかもしれないけれど、私が長年取り組んできたのはピアノだし、中高生時代でつらいことがあったら助けてくれたものたちのひとつに音楽があった。

(これくらいの距離感で音楽と付き合うほうが、特別でもなんでもない日常として扱えると思っている。少なくとも私にとっては。)

そしてその関わりたい人は、実は多くの大人に向かっている。それは生徒の保護者というのもあるけど、子どもはみんないずれ大人になる、ということでもある。


あまり多くは記せないが、この数年、傷を癒し切れずに成長してしまった”おとな”と接することが多かったような気がする。心理学においては「アダルトチルドレン」と呼んだり「インナーチャイルドを癒すこと」が解決策と言われたりしているが、他人が接して癒していくのは時間と労力をかなり必要とする。もちろん、本人が気づきさえすれば癒していけるものだから、解決自体を絶望的とは思わないけれど。

ただ、幼少期に”大人になれる岐路″があったのだとしたら?

何かある度、自分で心を癒せるようなすべを、小さいうちに身に着けることができていたとしたら…?

まだ自分のことで精一杯だけど、自分がどうして人と関わっていきたいのか、コアに立ち返って、進みたい。と、突如考えがまとまった夜だった。

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