教えること即ち、

良い刺激を受けたので、下書きに入っていた文章をドンドコ供養していこうと思います。

(すぐ感化されるやつ。ピュアと言え。)

最近はというと、色々と仕事上の葛藤も感じるようになったので、答えを探して本を読む時間が増えました。
情報が無料化した今でも、やはり私は本、活字が好きだし、個々人が情報に課金していくこともひとつ情報開示を求める権利の主張につながるのでは?と願ってしまう今日この頃です(笑)

さて、本題。
私は、複数の職場にお世話になっているのですが、やはり「教える」ことはとても大事なことだと感じます。

前提として、文明の進化と人類の進化には、時間軸に大きな差があると思いませんか。
地球は何億年と存在しているのに、人間の寿命はせいぜい80年です。
80年の個が連なっている歴史は偉大と思いますが、その生きている間に何を学べるか何を受け継げるか限りはあるものです。

私自身が音楽を教える立場におり、大学生の頃から「教える」「伝える」ための経験なり学習なりを積んできたので、この数年は「教える立場」の人たちへの批判を強く感じていました。

一方で、積極的に「学ぶ」姿勢は美しく、また、分かりやすく称賛されます。
社会に出てある程度の経験を積んで、自分で課題意識を持てることが増えた今となって、私は、自ら過去や先人から学びを得ようと向き合う気持ちを抱き始めました。
だからこそ「学ぶ」意欲は尊ぶべきもの、成長の証、などと考えます。

それでもなお「教える」ことについての理想を追求せずにはいられません。
なにも教壇に立つ者、リアルに教育業界にいる人たちだけに必要なことではないはずです。
自分が10年、20年、そしていずれは80年をかけて培ったものを伝えるというのは命の還元、長く生きてきた者の責任です。
これだけでは「結局「教えたい」人間の主義・主張」と捉えられるかもしれません。
ですが、後進を育てなければ、今いるコミュニティは退廃していきます。
盛者必衰とはよく言ったもので、必ず人は衰える…どころか死を迎えますが、その時点で学びや気づきのバトンを繋いでいけばその灯火は消えないのではないでしょうか。
うまくいけば大きな炎になることもあり得ます。

今このときの繁栄だけで満足していてはいずれ終わりを迎えるでしょう。
そのことに気づいていない人がいるその場所は、とても脆いと思います。

教える型についてはまた後日。
(卒論のテーマだったりして〜)

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