「普通」の解釈が極端すぎたという話(D21)
いつからなのか? 何がキッカケだったのか? はもう忘れてしまいましたが、ある時から僕は「普通は◯◯…」という表現がすごく嫌いになりました。
たぶん、僕の考えとか、僕が信じていたものを、「普通、◯◯だよ。お前はおかしい」と言わんばかりに否定されたのが原因だと思います。
でも、たしかに「普通」は存在する、という話。このvoicyの主旨はまったくそれとは関係ないですよ。ただ、僕の中ではその部分に気付かせてくれた大事な回ということで取り上げさせてもらいました。とは言え、多くの方にとってすごくためになる回だと思うので、超オススメです。
人の考えや性格なんて十人十色。そうは言っても世間一般の「常識」というのはどんな時代、どんな場面にも存在します。
多くの場合、この「常識」のことを「普通」とか「普通は◯◯」みたいな言い方をしますよね。そして、多くの場合、その使い方は間違ってはいない。それなのに、僕は「普通」という言葉だけに拒否反応を起こしていた気がします。
「ある人の意見を尊重する」という意味において、「普通」という使い方は良くないけれど、「多数派」という意味合いで使われる「普通」は、まさに「普通」として認識すべきである!と、痛感しました。
普通があるから個性が生まれる。普通を知っているから個性に魅力を感じるんですよね。
これまた「中庸」という考え方が大事だと 勉強させられました。極端な解釈をせず、ひとまずはすべてのことを肯定的に捉え、そこから吟味して、特に言葉にする時には注意していこうと思います。
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