バイトに行くつもりが、海を経由して児童相談所にたどり着いた話④
時間が経ちすぎて記憶が薄れてきてしまったが、とりあえず最後まで書くことにする。
「児童相談所ですが…」
知らない番号からの電話に出ると、絶対に関わらないだろうと思っていた場所からだった。
しかし関わることなどないと思っていたのは中学生までで、高校生になってからはもう心当たりしかないのだ。度重なる補導やつい先日の警察を巻き込んだ騒動。私はついに親に捨てられ、児相に保護されるのかと思った。
「警察署から連絡を貰ったので、あなたに連絡をしました。この前のことは覚えてますか?その時のことについてなんですけど…」
警察に電話番号を教えた記憶などないが、どうやら観察対象になったらしく、数日後日程を決めて児童相談所に出向くことになった。
私は次の日の学校で、担任の先生にその事を話した。私が伝えるより先に学校に連絡が入っていたのかどうかは忘れてしまったが、当時担任の先生よりも自分のことを話せる先生が居たので、その先生にお願いして付き添ってもらうことになった。そして数日後の夕方、三者面談のあと3人で児相に向かった。
親の車に乗るつもりでいたが、先生が「乗るか?」と学校の軽トラを動かしてくれたのでそこに乗った。どうしてだか、「乗るか?」の一言がとても嬉しかったのを覚えている。
児相に着いたら、病院の診察室よりも少し広いくらいの大きさの部屋に案内され、私だけその隣の違う部屋に入れられた。カウンセラーの人との面談だった。
面談は、カウンセリングというより雑談に近い感じだったような気がする。
「進学とか考えてるの?」
「はい、京都に…」
「あぁ〜京都って感じするわ〜」
なんだそれはと思っていたが、そんな感じのことひたすら話していた。その間、親と先生は児童相談所の人と3人で話していたみたいだが内容は教え貰えなかった。聞いたのは、本当なら見守り対象になるが、同月中に私が誕生日を迎え18歳になり保護対象から外れるため、今回はこれで終わりだということだけだった。
帰りは親の車に乗って帰ったが、いつも助手席に座るがこの日は親の隣に座れなかった。
さて、児童相談所の人からの「今回はこれで終わり」という言葉を聞いて全てが終わったかのように思えるが全くそうではなく、私自信がなぜバイトをばっくれたのか、なぜ死のうと思ったのか、なぜ親を殴って逃げようとしたのか、実はここまで何も親に話していないのである。
現に、今もまだ話せていない。
家庭環境に耐えかねたとか、学校でのストレスやバイトがプレッシャーになったこと、その他諸々理由は沢山あったが、親は何も言わずに待ってくれている。
しかし私は未だにどう伝えれば良いのか分からない。自分が辛かったという話をすれば親は悲しむだろうし、私は一人暮らしを始めて家を出たから楽にはなったが、家庭環境が良くなったとは言えない。そんな状況で過去を掘り返すようなことをして良いのだろうか?かと言って家庭環境が良くなるのを待ったとしても、時間が解決してくれるようにはとても見えない。自分になにか人生の節目のような時が来たら言うか?もういっそこの記事を親が読んで勝手に察したりしてくれないだろうか、いや自分勝手すぎるな。
そんなふうに、今もまだ考えている。
なかなか続きを書かず伸ばしに伸ばした話だが、特にオチがある訳でもなくこれで終わりにする。
読んでくれた人がもし居れば、その人たちを置いてきぼりにしてしまったことになるが、自分が自分と向き合うためのページになったと思う。