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なぜアンパンマンは「愛と勇気だけが友だち」なのか? やなせたかし氏の著書をもとに調査
アンパンマンといえば、もはや知らない人はいない国民的ヒーロー。我が家にも、我が子のアンパンマングッズが置いてあります。我々アラフォーもテレビアニメを見て育っており、まさに世代を超えて愛されるキャラクターです。
今回は、そんなアンパンマンに関する疑問に迫ります。
なぜ愛と勇気だけが友だちなのか
アンパンマンのオープニングテーマといえば、『アンパンマンのマーチ』です。その2番がテレビアニメのオープニングとなっているのですが、その中で気になる歌詞があります。それが以下。
そうだ おそれないで みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
この歌詞の部分です。この「愛と勇気だけがともだち」のところ。愛と勇気だけがともだちというのは、少し寂しい気がします。一体どういうことなのか。この歌は原作のやなせたかし氏が作詞をしていますので、やなせ氏に関する本を調査。
すると、やなせ氏が高知新聞に連載していた「オイドル絵っせい」というエッセイをまとめた『続オイドル絵っせい これじゃあ死ぬまでやめられない!』という本を発見。
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この本の中に、以下のようなエピソードがありました。
アンパンマンのテーマソングの中に「愛と勇気だけが友だちだ」という言葉がある。「アンパンマンは愛と勇気だけで他に友だちはいないんですか?」と質問されることがある。友だちも仲間も大勢いる。友情で結ばれている。しかし命がけで自分を犠牲にしても戦う時は自分ひとり、他人の協力をアテにしないということだ。
ということで、この歌詞には自己犠牲の時には頼れるのは自分だけという、やなせ氏の思想が表れているのです。アンパンマンは、自らの頭を食べさせるという自己犠牲をして、お腹が減った人々を助けています。考えてみれば、アンパンマンの自己犠牲は孤独です。
さらにやなせ氏は続けます。
ぼくは大変に小心でオクビョウなところがありいつも怯えがちだが、ここぞという時は自分ひとり、他人をアテにすることはない。アテにして外れた時は恨むことになる。自分ひとりの方が気楽だ。失敗した時には他人にメイワクをかけないのがいい。それがあの歌になったのだ。
「ここぞという時は他人をアテにしない。そうすることで、失敗した時に他人に迷惑をかけないことになる」というメッセージが、あの歌には込められているようです。たしかに合理的な考え方ですね。
これはやなせ氏独特の視点だと思うのですが、人間の矛盾に面白さを感じているところがあるようです。
まことに立派な心がけのようだが、実像は小心だからお笑いである。人間というのはムジュンしたところがあり、チグハグで、そこがなんともいえず面白い。
自己犠牲という立派な考えを持ちつつ、実際には他人に迷惑をかけたくないという小心者であるところに自嘲的な気持ちがあるのでしょう。人間という生き物は矛盾を抱えているけれども、それがまた味があって面白いということと理解できます。
なお、別な書籍には以下のような記述もありました。
戦うときは、自分ひとりだと思わなくてはいけない。道連れをつくるのはよくない。どんな場合も責任は自分で負う覚悟が必要だ。みんなでやると、「怖くない」という心理になって、悪いことまでしてしまうことがあるからだ。
正義が時として悪いことに進んでしまうという、やなせ氏の考えも込められているようです。本当に正しい正義を行う上ではみんなでやることはむしろ好ましくなく、責任は自分で負う必要があるという持論がみて取れます。そのため、この「愛と正義だけが友だち」という歌詞になったのかもしれません。
というわけで、アンパンマンのマーチの歌詞に込められたやなせ氏の真意に迫ってみました。幼き頃に何気なく聞いていた歌でしたが、実際は作者の深い思想があったわけです。
アンパンマンのマーチは特攻隊の歌?
ところでネット上では「アンパンマンのマーチ、『神風特攻隊の歌』説」が流布されています。
なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ
わからないままおわる そんなのはいやだ!
この歌詞(↑)あたりから、特攻隊として我が国を守ることに価値を見出した英霊たちの葛藤を表している、と読み取られているかもしれません。
だから 君は とぶんだ どこまでも
この箇所(↑)も、神風特攻隊の歌だと言われる理由かもしれません。
いけ! みんなの夢 まもるため
この部分(↑)からも、祖国を守る意志があると間違った認識をされている可能性があります。
実はやなせ氏には2歳下の弟さんがいました。名前は千尋氏。『ぼくは戦争は大きらい』という本に出てくるのですが、京都帝大を出て召集されて海軍に入り、士官候補生の試験にも受かって海軍中尉にまで出世しています(同37ページ参照)。
そんな弟さんは、ある時やなせ氏のもとを訪れます。特別任務(旧海軍が実行した人間魚雷「回天」のこと)につくことになり、最後の挨拶に来たとのこと。回天には脱出装置もないので、いわゆる特攻です(『ぼくは戦争は大きらい』37ページおよび『やなせたかし 明日をひらく言葉』16ページ参照)。
これがアンパンマンの自己犠牲の精神につながって、アンパンマンのマーチが特攻の話になったのではないかと思われます。
これについてはやなせ氏自身が著書で否定しています。
ぼくはそんなつもりはなかったのですが、「アンパンマンのマーチ」が弟に捧げられたものと指摘する人もいます。
そのため、アンパンマンのマーチは弟さんに捧げられた歌ではないことがわります。ゆえに、上記の説はデマであることがわかります。
そもそも、やなせ氏は戦争を否定しています。
この社会で一番憎悪すべきものは戦争だ。絶対にしてはいけない。戦争は一種の狂気であり、人をおかしくする。
アンパンマンと特攻は「自己犠牲」という点では共通していますが、アンパンマンは飢えに苦しむ弱者を助ける献身的姿勢からくる自己犠牲であり、特攻とは異なるものなのです。
なぜアンパンマンは自分の顔を食べさせるのか
アンパンマンの誕生秘話については、以下のような記述があります。
戦争が終わると、アメリカからスーパーマンというヒーローが登場した。テレビ放送が始まると、月光仮面やウルトラマンなども出てきた。けれど、彼らは飢えた人を助けに行くことは全然しない。
この箇所からも、やなせ氏がなぜアンパンマンを描いたのかわかる気がします。つまりは「本当の正義」とは何かということへの問いかけです。怪獣を倒すことが本当の正義なのか、という疑問から生まれているわけです。
いろんな兵器が次々と出てきて、ドンドンパチパチと派手に火花を散らす。それがカッコよく見えて興奮するなんて、一種の「戦争賛美」のように思える。
このあたり(↑)からも、戦争否定の考えがわかりますね。
そして、なぜ自分の顔を食べさせるのか、について。
「正義を行おうとすれば、自分も傷つくものだ。でも、そういう捨て身、献身の心なくして、正義は決して行えない」
正義には自己犠牲を伴うという、やなせ氏の真意がわかりますね。
***
以上、アンパンマンに関する疑問のうち、いくつかを調査してみました。アンパンマンには実は作者の「正義に対する深い思い」、そして「平和への願い」が込められているのです。
本記事で参考文献として引用した書籍には、まだまだアンパンマンに関するエピソードがありますので、ぜひこれらの本に触れてみてください。きっとより一層の気付きを得ることができると思います。
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